Saturday, August 22, 2015

ハズレの試写会/「ピクセル」と「ファンタスティック・フォー」

 言うまでもないけれど、試写会はタダである。
 私の場合は、映画雑誌に定期的に記事を書いているということで米国映画協会を通して大手の映画会社から試写の招待が来るのだが、その多くは一般公開の数日前に行なわれるので、いち早く新作が観られるという有り難みはあまり無い。
 でも、何と言ってもタダである。ロサンゼルスでも最近は映画の入場料は平均15ドルぐらいするので、家族と行けば30ドルの得である。30ドルと言えば、ランチ御二人様分ぐらいになる。映画会社によってはポップコーンと飲み物のサービス付きである。私は、飲み食いしなくても全く構わず映画を観られる人だが、配偶者などは「ポップコーンが無いと映画の楽しみが半減する!」と言い切る、典型的アメリカンなので、無料のポップコーン+飲み物は有り難い。

 というわけで、経済観念の発達した兼業主婦としては試写会を利用しないテは無い。
特に夏休み中は、娘の夕方のバレエクラスの送迎の必要が無くなるから試写会行き放題である。
 でも、そうやって無差別に試写会に行けば、当然、「ハズレ」の映画にも当たったりする。今年の夏は、80年代のビデオゲームにインスパイアされたという「ピクセル」と「ファンタスティック・フォー」がハズレだった。

 「ピクセル」は、フランス人アニメーターが2010年に作った短編映画「Pixel」を長編映画化した作品。80年代のビデオゲームを入手したエイリアンが、パックマンやスペースインベーダーなどのゲームは自分たちへの宣戦布告だと勘違いして地球を攻めてくるという設定で、アダム・サンドラーやケヴィン・ジェームズ、ミシェル・モナハンらが、ビデオゲーム・オタクのスキルを駆使して迎え撃つという内容になっている。
 80年代のビデオゲームにハマった人間だったら、パックマンやスペースインベーダー、ドンキーコングなどが登場するシーンにノスタルジーをおぼえて楽しめるところもあるかもしれないが、ストーリーもキャラクター設定もとにかく子供だましで、中学生以上の年齢の観客は飽きること間違い無し。
 原案の短編映画「Pixel」は確かに面白い。



 ヴィジュアル・アイディアはなかなかのものだし、見ていてクスリとさせられるオチも多い。でも、これはあくまで2分半の短編映画。人間のキャラは出て来ないし、なぜニューヨークが「ピクセル・アタック」に遭うのかという説明も無い。アートっぽく抽象的な作品である。映画「ピクセル」は、それを無理矢理コメディ映画にしてしまったという強引さが、失敗の原因だったように思えた。

映画版の予告編はこちら:


 それでも、「ピクセル」には、ところどころ笑えるシーンがあったからまだ良い。いわば他愛のない子供の絵本を読まされている気分になるだけで。しかし、「ファンタスティック・フォー」の方は、そういうユーモアのセンスすら乏しくて、子供時代に従弟に付き合わされて見させられた日本のチープなスーパーヒーロー・ドラマを思い出した。

 今回公開された「ファンタスティック・フォー」は、2005年に製作されて2年後に続編も作られた「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」のリブート作品という位置づけである。
 2005年版の「ファンタスティック・フォー」では、既に4人組がスーパーヒーローとしての地位を確立していたのに対し、今回のリブート版では、その4人がいかにして“ファンタスティック”になったか、という「ルーツを明らかにする」のに前半が費やされる。この前半は、「セッション」のマイルズ・テラーや「ビリー・エリオット」のジェレミー・ベルなど、素朴さがウリの若手スターの好演もあって、まだマシ。が、4人と後の悪役ヴィクター・フォン・ドゥームが実験事故に遭って特殊能力を身につけてからの後半が、完全に先読みできてしまう凡庸な出来で、とにかく退屈。ヴィジュアル・エフェクツも、今どきのテクノロジーのレベルを考えると低質な仕上がり。
 派手な娯楽作には採点が甘いアメリカ人映画ファンだが、さすがにここまで出来が悪いとそっぽを向いてしまうようで、公開後2週間の興行収入はアメリカ国内でわずか4700万ドル。その他の海外市場を入れても1億700万ドルで、製作費の1億2200万ドルに到達すらしていない。マーケティング費や配給にかかるコストを加えると約2億ドルの出費ということになるらしいが、劇場公開収入だけでそれだけの金額は取り戻せないだろう。
 この失敗で、製作サイドでは、新人監督の仕切りが悪かった、いや新人監督に不必要なプレッシャーを与えたうえ最終的な編集の権限を奪った映画会社側が悪い、といった責任のなすり付け合いが展開しているとか。やれやれ...

Sunday, August 2, 2015

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」


「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」を試写で観た。

1960年代のTVシリーズ「スパイ大作戦」を映画化したシリーズも、今回で5作目。フランチャイズ作品は、普通、製作を重ねるごとにパワーダウンしたり、マンネリ化したりすることが多いものだが、この「M:I」シリーズは数少ない例外の1つ。(ジョン・ウーが監督した2本目が一番物足りない作品だったというのが個人的な意見だけれども、それでも駄作というほどではなかったという記憶がある。)本作「ローグ・ネイション」も期待に応える上質な娯楽作に仕上がっている。

アクション映画の定石の1つに、しょっぱなからインパクトの強いシーンを見せて観客を映画の世界に一気に引きずり込むという構成の仕方があるが、「ローグ・ネイション」もそれに倣い、物語は背景などの前置き無しでいきなりトム・クルーズ演じるイーサン・ハントが、テロリストが飛行機で毒ガスを持ち去ろうというのを止めようとするアクション・シーンから始まる。(このシーン、007映画をはじめとしたスパイ映画によくあるような荒唐無稽なアクションが披露されるが、驚くべきことに、CGなどは使わず、スタントマンすら使わず、クルーズが実際に敢行したとのことで、それを後で知ってド肝を抜かれました。)
ハント率いるIMFのメンバーが次に取り組んだのは、ザ・シンジケートと呼ばれる国際的な犯罪組織を追うことだったが、ロンドンで不意打ちをくらったハントは逆にシンジケートに捕まってしまう。“ボーン・ドクター”と呼ばれる男に拷問されそうになったハントを救ったのは、イギリスの諜報機関MI6の元エージェントでシンジケートの一員になったイルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)だった。
一方、アメリカでは合衆国上院の監視委員会でCIA長官のハンレイ(アレック・ボールドウィン)が、ザ・シンジケートの存在を否定すると共にIMFの解体を提言。同席したIMF主任分析官ブラント(ジェレミー・レナー)の反対にもかかわらず、解体は受け容れられ、ハントはIMFのサポートを受けられないばかりか、追われる身になってしまう。そんなハントに出来る事は、シンジケートのリーダー格、ソロモン・レーン(ショーン・ハリス)を捕獲することだった...

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」の見どころの1つは、何と言っても、トム・クルーズの身体を張ったアクションだろう。クルーズは今年の5月で53歳になったのにもかかわらず、その肉体派ぶりは御見事。上述した飛行機を追跡するシーンや、カー/バイク・チェイスシーン、潜水シーンなど、全てスタントマンを使わずに自ら挑んだ姿勢には拍手を送らざるを得ない。以前、会った御本人はかなり変わった御仁だったけれど、俳優としてのプロ根性には脱帽である。
クルーズ演じるハントを支えるIMFのメンバーたちを演じる俳優もイイ。ヴィング・レイムスは1996年に公開されたシリーズ第1作からずっと参加している唯一のキャスト・メンバーゆえ懐かしの友人に再会できたような嬉しさがあるし、第3作から参加しているサイモン・ペグは相変わらず可笑しくて善い人というキャラにはパーフェクト。前作の第4作から参加しているレナーも、シリアスな中に時々ユーモアをチラ見させるところがナイス。本作紅一点のファーガソン(イギリス人を母に持つスウェーデン人女優)は、筋肉がしっかりついたアスリート体型ゆえ、綺麗だけど細過ぎる今どきの女性のアクション・シーンよりも説得力があって良かった。

それにしても、これだけの質を保ちながらフランチャイズ化させていくというのは、作るたびにハードルの高さを上げていっているようなもので、製作者たちにはなかなかしんどい事なんだろうなあ、と要らぬ心配をしたりしてしまったのでした。



ちなみに、↑は日本向けの予告編ですが、0:25と1:18に登場するレナーは、別シーンから引っ張ってきたもので、あまり感心する編集ではないです。まあ、ネタばれするとか、誤解を招くほどのインパクトは無いのだけれど、ここに入れる必要も無いだろ、と存在理由の理解に苦しむ編集だったりします。