Sunday, September 20, 2009

バレエはドラマだ



クラシック・バレエ好きな私が子供時代に夢中になったのは山岸涼子の「アラベスク」。背が高いことにコンプレックスを持つノンナは特に共感が持てるヒロインだった。
その山岸涼子がもう何十年ぶりに長編バレエ漫画ジャンルに戻って来たのが「舞姫 テレプシコーラ」。
ソ連時代のレニングラード、キーロフ・バレエを舞台にした「アラベスク」に対し、「テレプシコーラ」は現代日本。主役も準プロのバレエ学校の学生ではなく、小学校高学年~中学生のヒロインと、随分身近な存在になっている。それでも、ストーリー展開はなかなかドラマチックで夢中で読み進んでしまう。(上の写真は、今日、読み終わった第4巻)

ドラマチックといえば、娘のバレエ学校では、恒例の11月・12月上演の「くるみ割人形」の配役が決まりつつあるのだが、今年も希望の役がもらえた子、出たかったシーンに出られなかった子、去年に引き続き同じ役を振られて落胆する子などなど、悲喜こもごも。
ただ、小学校中学年の子供が希望通りの役がもらえなくて、涙ぐむのはしょうがないとしても、その親がそれを不満に思ってスタッフに苦情を言うのを目撃した時は正直言って、何だかなあ...と思った。そうしたら、その親にとどまらず、孫娘が去年と同じ役にされて不満をぶちまける祖父母、他のクラスメートと同じ役をもらえずにガッカリする娘のためにスタッフと交渉しようとする父親等々と、「ウチの子が、ウチの子が」状態の親が続出している模様で、驚くやら呆れるやら。
そのためか、今年の親の説明会では校長先生自ら一言。「『くるみ割人形』の配役は、このパフォーマンスに最適な役であるということを最優先させて選んでいます。御子さんの役に不満がある方は私か、学校のディレクターである○○に直接、言いに来てください。先生やオフィスのスタッフには苦情を持ち込まないように」去年は、こんなコメント無かったんだけど、今年はどうやら親バカ全開状態の親が多いみたい…

思うに、こういう親たちは「くるみ割人形」と春の発表会を混同しちゃっているのではないかと。
「くるみ割人形」は、あくまで学校付属のバレエ・カンパニーが上演するパフォーマンスであり、観客の大半は出演者の家族・友人ではない。(なんたってこの公演は、11月、12月それぞれ4回ずつ、計8回もあるのだから。)それゆえ、ホリデーシーズンに「くるみ割人形」を上演する他のバレエ団と共にロサンゼルス・タイムズ紙に広告を出しても恥ずかしくないクオリティをキープする必要がある。発表会の時のように、娘のリリアンちゃんや孫のクリスちゃんが愛嬌だけで踊って可愛い舞台であってはいけないのである。スタッフに苦情を言いに来た親たちにはそれが解っていないのではないか。

もっとも、こういう世界には不公平もある。先生の親族・友人の子供、親がバレエ学校でボランティアしている子供、親が多額の寄付をしている子供なんかは、もちろん良い役に就く。いわゆる“えこひいき”もある。でも、それはどこのバレエ学校に行ったって同じこと。いや、どこの世界にだってそういうことはあるものだから(Life is not fair.人生は不公平なものだからね)、親の立場としては、子供たちも世の中の不公平・不条理を経験しておいた方がいいのだ、と達観するしかないんですね、これは。

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