Thursday, August 30, 2012
PARANORMAN
娘の夏休みの最後の週、彼女がずっと観たがっていた映画「ParaNorman」を観に行った。
両親や姉と一緒に、魔女伝説が語られる小さな町で暮らしている主人公の少年ノーマンは、タイトルが示唆するようにparanormal=超常能力の持ち主。この世に未練を持つ死者たちが彷徨っているところが見えるし、彼らの声も聞こえる。が、周囲はそんな能力のことを信じないから、彼は変わり者=freakだと思われていて、学校でものけ者扱いされている。
そんなノーマンのところに、家族の間でも変わり者として敬遠され続けてきた叔父がやって来て、ノーマンこそ、自分を継いで町を守る役割を担う人間であり、日没までに魔女の埋められた所に行って本を朗読しなければならないと告げる。
半信半疑で、300年前に魔女の呪いをかけられて死んでいった7人の町民の墓で、叔父が遺していった本を読み始めるが...
ストーリーの骨子は、ノーマンが、肥満体の親友や、いじめっ子、自分を小馬鹿にしてきた姉たちの助けを借りながら、何とか町を救おうと尽力するということになるだろうが、寓話的な要素を解読していくと、「自分たちとは違うから」というだけで人を攻撃してはならない、という、いじめの問題、ゲイ差別の問題、違法移民の問題と重ね合わせていくことができる。子供向けの上質の映画には常に、子供が単純に楽しめる「おもて」のストーリーと、大人たちが観た後でじっくり考えてみたくなるような「うら」の内容がある、というのが私の持論なのだが、今回の「ParaNorman」も見事にその条件をクリア。しかも、映像デザインがユニークであるだけでなく、作り方もとても丁寧。それもそのはずで、ParaNormanは「コララインとボタンの魔女」を作ったアニメーション・スタジオ、LAIKAが製作チームに参加している。
「コラライン」が大好きだった!という人、キュートなだけのアニメーション映画では物足りない人やティム・バートンが好きな人、ちょっとブラックなアニメーションが好きな人などには、必見の映画である。
ただし、「コラライン」同様、映像的にかなり怖い場面も多いので、PGレーティングの映画ではあるが、小学校低学年の子供に見せるにはちょっと注意が必要かも…
Sunday, August 26, 2012
リドリーが撮ったトニー:Boy and Bicycle
8月19日に自ら命を絶ったトニー・スコット。ハリウッドの映画人がこぞってその死を悼んでいる。
そのニュースの1つで見つけた映像。兄のリドリー・スコットが美術大学の学生時代に作った「Boy and Bicycle」というタイトルの白黒の短編で、トニーが“主役”の少年として出演している:
このトニーは16歳。高校の制服らしきブレザーにマフラーをつけている。タバコを吸ったりしているが、まだ幼い面影が抜けていない。
観ていて、とても切なくなった。
そのニュースの1つで見つけた映像。兄のリドリー・スコットが美術大学の学生時代に作った「Boy and Bicycle」というタイトルの白黒の短編で、トニーが“主役”の少年として出演している:
このトニーは16歳。高校の制服らしきブレザーにマフラーをつけている。タバコを吸ったりしているが、まだ幼い面影が抜けていない。
観ていて、とても切なくなった。
Thursday, August 23, 2012
PREMIUM RUSH
ジョゼフ・ゴードン=レヴィットがニューヨークの街を疾走するバイク・メッセンジャー(自転車配達人)を演じているアクション・サスペンス「Premium Rush」の試写に行った。
レヴィット演じるワイリーは、命知らずのバイク・メッセンジャー。弁護士になるべく法学部に入ったものの、「スーツを着て1日中オフィスに縛り付けられているなんてゴメンだ」と言い切って、記録的な速さでニューヨークの街のA地点からB地点まで配達物を送り届ける仕事を楽しんでいる。
その日もワイリーはいつものように、「premium rush(超速達)で」というリクエストのついた封筒を中国人留学生のニモから受け取って、チャイナタウンまで届けるオーダーを受けるが、その封筒を彼から奪おうとする男に遭遇する。男はボビーというNYPDの刑事だが、チャイナタウンのギャンブルにハマった結果、莫大な額の借金を抱えている。ニモが送り出した封筒を奪還すれば、借金を帳消しにしてやるとチャイニーズ・マフィアに言われたボビーは、なんとかワイリーを止めようとするが…
ガソリン代の高騰のせいか、夏だからなのか、車が道路を支配しているここLAでさえ、最近自転車に乗っている人が目立つようになった。その大半は、時速15kmぐらいで道の端をお行儀良く走っているけれど、たまに、何の警告も無しに車線を右から左へいきなり横切ったりするサイクリストも居たりして、前方にサイクリストを見かけると緊張するし、正直、ウザイなあ…と思ったりする。
が、「Premium Rush」に登場するバイク・メッセンジャーたちの乗りっぷりを見たら、つくづくNYで車を運転していなくて良かったと、神に感謝する気持ちになること、請け合いである。ギアも無ければブレーキさえ付いていない自転車に乗る(彼曰く「ブレーキなんてあったら死ぬぞ」)ワイリーなど、赤信号だろうが交差点に突っ込んでいき、車同士の左右前後の僅かな隙間をぬって疾走する。(どこをどう駆け抜ければ事故に遭わずに済むか、一瞬のうちに判断するワイリーの頭の中をゲームのようにビジュアライズした映像が面白い。)自転車のシーンはCGには頼らず、ほとんどスタントで撮影したとのことだが、その臨場感とスピード感は特筆ものである。この映画のバイク・チェイス・シーンを観たら、普通のカー・チェイス・シーンが重く見えてしまうかもしれない。
監督は、デヴィッド・コープ。「宇宙戦争」や「スパイダーマン」の脚本を手がけた脚本家だが、「オー!マイ・ゴースト」や「シークレットウィンドウ」などの監督作品もある。
上映時間は91分。最近のハリウッド映画では、かなり短めな作品だが、そのおかげで、無駄が無く最初から最後までアクションがギッシリ詰まったタイトな娯楽作に仕上がっていると思う。
Wednesday, August 22, 2012
バレエ教室、新学年の始まり、始まり
教室のサイトより拝借
娘の教室の新学年が先週から始まりました。
娘たちのレベルは、めでたく新学期から全員、Level 6というクラスに進級。このレベルは教師陣が充実しているので嬉しいことは嬉しいのですが、スケジュールが一気に過酷になるのが心配。
もちろん、クラスを取りたいだけ取るpart-timeというステイタスでも構わないなら、週2日でも週3日でも自由に取れるのですが、12月に予定されている「くるみ割り人形」の公演や春の公演に出るためには、週6日のレッスンを取るfull-timeの生徒であることが義務付けられています。
そのLevel 6のfull-timeのスケジュールはこんな感じ:
月曜日:テクニック(普通のバレエクラス)90分、ポアント75分
火曜日:テクニック90分、ダンスコンディショニング(ピラティスのようなもの)60分
水曜日:テクニック90分、ポアント75分(ただし、このポアントはオプショナルで欠席でも可)
木曜日:テクニック90分、ジャズ60分(これもオプショナルで取らなくても可)
金曜日:テクニック90分、ポアント60分
土曜日:テクニック90分
これに加え、再来週からは土曜日の午後に「くるみ割り人形」のリハーサルが入ります。
こんなスケジュールだと、ハッキリ言って、毎日の宿題をする時間を見つけるのも大変。なので、多くの子たちが学校に体育免除の申請をして、クラスメイトたちが体育をしている時間に宿題をこなすのだとか。
うちも、現在、学校に同様の申請をしています。娘の場合は、日本語コースというのを取っている都合で、体育の時間が免除になる代わりに、毎日早朝の体育のクラスが免除になるのですが、それでも朝の45分間、余計に寝られるのは嬉しいので。
こんなに過酷なスケジュールをこなすのは、かなり大変だと思うのですが、それでも皆、full-timeで教室に通っているんですよね。やっぱり、それだけ公演の魅力って大きいのだろうなと思います。
Monday, August 20, 2012
Bunheads シーズン・フィナーレ
サマー・シーズン・ドラマとしてABCファミリー局で6月に始まった「Bunheads」は、今夜がシーズン・フィナーレ。
シーズン・フィナーレ・エピソードのタイトルは「A Nutcracker in Paradise」。パラダイスというのは、このドラマの舞台になっているカリフォルニアの架空の町。つまり、パラダイスでの「くるみ割り人形」という意味のタイトルだが、「くるみ割り人形」はアメリカでは12月に上演するのが慣わしになっているのに、ドラマ内の季節は現実の季節と一緒で8月。8月に「くるみ割り人形」??
製作者たちや脚本家としては、シーズン・フィナーレのネタとしては、一般視聴者に最も知られているバレエ「くるみ割り人形」を持ってくるのが得策だったのだろうが、少しでも「くるみ割り人形」のことを知っている人だったら「8月に『くるみ割り』なんて~~」と言われそう。というわけで、このエピソードに先駆けたエピソードでは、ヒロイン、ミシェルの義母フラニーが経営するバレエ教室では少しでもコストを抑えるために、衣装レンタル料の安い8月に「くるみ割り」を上演することになっている、という説明が加えられていた。脚本家の苦心がうかがわれる。(笑)
実は、このシーズン・フィナーレは、娘が特に楽しみしていたエピソードでもあった。
理由は、一昨年、娘の通っているバレエ教室からニューヨークシティ・バレエの付属校スクール・オブ・アメリカン・バレエの通年制に入った娘のアイドル的存在、リリカがゲスト出演しているから。
リリカの役どころは、フラニーのバレエ教室でNo.1だった生徒が「くるみ割り」のヒロイン、クララを踊らないことになって困ってしまったフラニーが助っ人として雇うエリート・バレリーナ。
娘の教室に居た頃から、とにかく素晴らしいテクニックで観客を沸かせていたリリカらしく、ピルエットやらピケターンやら、ジュテやら、これでもかというぐらい、本物のバレリーナの貫禄を見せつけるテクニックを披露。娘は超興奮状態でした。
リリカが登場するシーン。(この動画、日本でも観られると良いんだけど…)
Thursday, August 16, 2012
無言絶句…な玩具
TVを見ていた娘がいきあたったコマーシャル:
要は、犬にウ*コをさせて遊ぶという玩具。
もしかしたら、ひょっとしたら、「犬の糞の後始末を進んでやるように」という教育の意図を込めた玩具だったりするのかもしれないけど、こんなので子供が遊んでいたら、やっぱり嫌だ。
要は、犬にウ*コをさせて遊ぶという玩具。
もしかしたら、ひょっとしたら、「犬の糞の後始末を進んでやるように」という教育の意図を込めた玩具だったりするのかもしれないけど、こんなので子供が遊んでいたら、やっぱり嫌だ。
Friday, August 10, 2012
SAB Workshop レッスン見学
今日は、ニューヨークシティ・バレエの付属校School of American Ballet(SAB)のLos Angeles Workshopの最終日で、レッスン見学に行ってきた。
Level Cの生徒たち(12歳~14歳)
見学したのは、今年からWorkshopに参加したSheryl Ware先生のクラス。
娘も彼女の友達も一番気に入っている先生だったので、ラッキーだった。
シェリル先生:細くて小柄で、ちょっと日本人バレリーナに居そうなタイプ
(写真はいずれもSABのFacebookからお借りしました)
レッスンは、普段の教室のレッスンと同様、バーでのプリエから、タンデュ、フラッペといった基本動作から始まったが、シェリル先生の指示はとても的確で解りやすい。生徒たちに対しても、1人1人、差別することなくまんべんなく観ていてくれている感じ。新しい動作に移るたびに見本を見せてくれるのだが、膝から下がぐーんと反った脚に、綺麗に甲が出る足。それは見事なバレリーナの足に、目が釘付けになってしまった。立ち姿もバレリーナらしく凛としていて、見とれてしまう美しさ。
バー・レッスンはごく基本的な動きだったが、センター・レッスンに移るやいなや、いかにもバランシン・スクールという動きがガンガン出てくる。とにかく、スピードがあって、キレのある動きを要求されるパばかり。たとえば、グリッサード。普通はその意味通りglideする、つまり横に滑るような動きをするのがグリッサードなわけだが、シェリル先生が課題に出した動きをピアノの伴奏に合わせようとすると、のんびりと横に滑る暇など無い。そうやって、もたもたしている生徒が目に入るやいなや、バレエ・ピアニストを止める合図を出し、「この場合のグリッサードは横に滑るのではなく、上に飛ぶ感じで」とコツを教える。このあたりのタイミングや教え方が、実に要領を得ていて感心させられた。
それと、足さばきや動きだけでなく、音楽にきちんと乗って踊ることの大切さや、「ため」を取って踊る指導など、パフォーマンスではない普通のレッスンでも、表現力を養わせてバレエの情緒性を教えようとする姿勢にも、共感させられた。
とにかく素晴らしい先生でした。こういう先生に日頃から習えるSABの通年制の生徒たちは本当にラッキーだと思う。
SABのワークショップが終わって、7週間ぶっ続けで踊り続けたバレエの夏もひとまず終了。
今年は、教室のサマー・プログラムもSABのワークショップもかなり充実していたようで、本人も「この7週間でとても上達したような気がする」という実感が得られたそうで、親としても嬉しい限り。
来週は1週間、バレエは完全にお休みする予定だけれど、再来週の月曜日からは普段の教室でのレッスン(新レベルになって週6日、12時間の稽古量!)が始まり、8月末からは、12月に上演される毎年恒例の「くるみ割り人形」のリハーサルも始まる予定。
夏に学んだことが、秋のレッスンや「くるみ割り人形」のパフォーマンスに活かせますように…
Monday, August 6, 2012
「眠れる女と狂卓の騎士」追記:コーヒーとサンドイッチ
下の日記で書き忘れたこと。
「ミレニアム」シリーズをずっと読んできたけど、この3作目でなぜか気になったことは、登場人物たちが、やたらコーヒーを飲むこと。家に帰ればまずコーヒーを淹れ、カフェに入ってはコーヒーを注文し、オフィスに出勤したらまずコーヒーをマグに注ぐ、といった具合。
まあ、イギリスを除いてはヨーロッパ全般がコーヒー党だという印象があるので、不思議は無いのだが、それにしても、コーヒーの登場する場面の多いこと、多いこと。
そして、コーヒーのお供のように登場するのがサンドイッチ。とにかくサッと食事を済ませたい時には、サンドイッチとコーヒー。自宅で作るサンドイッチだけではなく、列車の食堂車の中でも、どこかの売店でも、注文するのは必ずサンドイッチ。何のサンドイッチであるかということまでは、全く言及されていないけれど、きっとハムかスモークされた肉類、それにチーズに、ちょっとした野菜ぐらいかと想像する。
そんなこんなでサンドイッチのことを考えていたので、今日の昼はサンドイッチ。(ただし、コーヒーは朝飲んでしまっていたのでミルクティーで代用。)
本日のサンドイッチは、娘のバレエのカープール・バディの自宅の前庭で育った完熟トマトをメインに、ハムとチーズ、レタスを添えたオープン・サンド。
まだ見ぬ遠いスウェーデンを想いながらのランチでした。
Sunday, August 5, 2012
「ミレニアム」三部作 読了
1ヶ月ほど前、娘の中学校によってリストアップされた夏休みの読書推奨書を借りに訪れた近所の図書館の日本語書の書架で、「ミレニアム」シリーズの完結編「眠れる女と狂卓の騎士」上下を見つけた時には、「Aaaaah~~~♪」という天使たちのコーラスを聞いたような心地がした。
今年の年末年始に日本に帰省した際に、年内開館最終日の図書館に駆けつけて1作目「ドラゴン・タトゥーの女」を貸し出してむさぼるように読んだ後、ロサンゼルス・シティ系列の図書館の蔵書に2作目「火と戯れる女」を見つけ出して夢中で読んでからは、3作目を読めるのは次に帰省する時だと諦めていたから。この図書館には「火と戯れる女」上下もあったので、1作目も誰かが借りているだけできっと揃っているに違いない。早川文庫版の同書は、まだ真新しく、私が貸し出し第1号だったかもしれないのも、何となく嬉しかった。
裕福なヴァンゲル家の複雑な人間関係をベースにした本格ミステリの形式を取った第1作、リスベットの過去が徐々に明らかになっていく過程をスリリングな警察小説のジャンル風にまとめた第2作、そして、前半はスパイ小説、後半は裁判物のような味付けを加えながらも、一気に大団円に到達する第3作。
もう見事としか言いようのない構成力と描写力に舌を巻きながら、もう早く次がどうなるかを知りたくてしょうがなくてもどかしい!という気持ちで読み進めながらも、これが「ミレニアム」最終章であり、リスベットのドラマを追えるのもこれが最後だと思うと寂しくて、読み終わりたくない気持ちもあって、なんとも複雑な心境で最終作を読み終えた次第。
三作三様の世界を構築することに成功している同シリーズだが、興味深かったのは、第1作の「女たちを憎む男たち」という意のスウェーデン語の原題「Män som hatar kvinnor」に呼応するかのように、第3作目の冒頭、物語が始まる前に、作者のスティーグ・ラーソンは歴史上の文献に足跡を遺しつつも滅多に語られることの無い女性戦士たちについて簡単な紹介をしていることだった。そして、それを反映して、第3作では、男性の同僚たちより優れた洞察力と行動力とで、ヒロインのリスベット・サランデルをサポートする頼もしい女性キャラクターたちが登場する。第2作で初登場した刑事ソーニャ・ムーディグ、この作品で初登場する公安警察のモニカ・フィグエローラ、リスベットがかつて務めていたミルトン・セキュリティの社員スサンヌ・リンデル、そして、ミカエル・ブルムクヴィストの妹でリスベットの弁護士になるアニカ・ジャンニーニである。リスベットも相変わらずの不屈の精神と驚くべき頭脳で闘うが、彼女ら“女戦士”たちの助力が無ければ、女たちを憎む男たちとの戦いに敗れていたかもしれないと思わせられる。これは、女性の読者たちにとっては嬉しいボーナス・ポイントだ。
題名の話が出たついでに、ちょっと面白いと思ったのは、原語のスウェーデン語版、英語版、日本語版のタイトルの付け方だった。
第1作目は、上でも言及した通り、スウェーデン版が「女たちを憎む男たち」というタイトルが付けられていたのに対し、英語版と日本語版では「ドラゴン・タトゥーの女」になっている。(英語版は「The Girl with the Dragon Tatoo」) 1作目の焦点は、リスベット・サランデルではなく、むしろミカエル・ブルムクヴィストに当たっていることを考えると、どうやってこのタイトルが付けられたのか…と不思議に思われる。(これについては、また後述することにする。)
第2作目は、スウェーデン、英語、日本語、すべて一緒。「Flickan som lekte med elden」=「The Girl Who Played with Fire」=「火と戯れる女」。これは、2作目の内容を知れば納得のタイトルだ。
一番不思議なのは、第3作目。3つの言語それぞれ、全く違ったタイトルになっているからである。原書のスウェーデン語版は「Luftslottet som sprängdes」=「爆破された天空の城」、英語版は「The Girl Who Kicked the Hornets' Nest」=「スズメバチの巣を蹴った女」。そして日本語は「眠れる女と狂卓の騎士」といった具合に。
この題名の違いについて、Nordic BookblogのPeterは、次のような分析を展開している:
(原著とは違う)2つのタイトルは、「マーケティング・メッセージ」の点で、無視できないフォーカスの転換を意味するものである。英語版では3書とも「The Girl」で始まるタイトルになっている。すなわち、読者にとってはリスベット・サランデルこそが焦点を合わせるべき重要なキャラクターであり、それは、読者がタイトルを見る際、女性版ジェームズ・ボンドのようにもなりえる女性を主人公とするミステリ・シリーズを示唆していると言えなくもない。
しかし、スウェーデン語の原書のタイトルは、1作目は女性たちを憎む男性たちについてのストーリーで、2作目は対処するには複雑すぎる事に巻き込まれてしまった女性のストーリー、そして3作目は高き場所にある構築物が爆破されてしまうストーリーというように、実際は非常に性格の違ったタイトルが付けられているのである。
(後略)
英語版とスウェーデン版の比較に留まっているこの分析に、日本語版のタイトルについての分析を加えるとすれば、日本語版ではリスベット・サランデルのことを救い出そうとする「騎士」たちの活躍に焦点が当てられていると読める。これは、チームワークを重んじる日本人にアピールするタイトルであると解釈するのは深読み過ぎるだろうか…?
私の読書傾向は極端にミステリ小説に偏っている。そして、ミステリ小説の性格上、謎解きを中心に展開するストーリーは1度読んでしまえば、もうそれで済んでしまう作品がほとんどゆえ、私は読んだ本を何度も読み返したりすることはまず無い。
例外はスティーヴン・キングの「シャイニング」で、そのエキサイティングな展開に勢いを得て一気に読んでしまったが、そのストーリーテリングの上手さをまた味わうために読み返したくなり、結局、3~4度は読んだのではないだろうか。
「ミレニアム」三部作も、最終章を読み終わった今、また最初に戻って、「ドラゴン・タトゥーの女」を読み返したい衝動にかられている。
読み捨てることが多い読書習慣の持ち主として、本はほとんど買わずもっぱら図書館を利用している私だけれど、「ミレニアム」だけは三部作全て買い揃えて、何度も読み返そうかな…と考えている。
Thursday, August 2, 2012
トータル・リコール
今日は「トータル・リコール」の試写会。
原作は言わずと知れたフィリップ・K・ディックの「追憶売ります」。1990年にポール・バーホーベンがアーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化しているゆえ、“リメイク”と呼ばれることも多いようだけれど、主人公の記憶が捏造されたものだという以外は、設定もかなり違っている別物映画と考えたほうが良いかもしれない。
時は2084年。世界のほとんどの地は化学物質で汚染され、人類は、英国連盟という名の近代国家と“コロニー(=植民地)”と呼ばれる混沌とした場所の2箇所に居住し、労働者階級はコロニーから英国連盟にある工場に毎日、出稼ぎに行っていた。工場で働くダグは、希望の見えない日常に嫌気が差して、“リコール”という虚偽の記憶を植えつける現実逃避的な娯楽を試してみようと思いつく。架空のアイデンティティはシークレット・エージェントということになって施術を始めようとしたその時、警察の襲撃を受け、リコールの店員は全員死亡するが、ダグは自分でも驚くような身のこなしで警官たちを全員、倒す。動揺した気持ちのまま急いで帰宅したダグは、妻に何が起きたかを話すが…
まず映画全体の印象を書くとすれば、まるでビデオゲームのような映画だということ。カメラワークも編集も、とにかくペースが速い。ビデオゲームの方が映画よりも身近なメディアだという世代には抵抗が無いのかもしれないが、根っからの映画人間の私には、血が通った人間がスクリーンに映し出されているというよりは、デジタル技術で作り出されたキャラクターが超人間的な動きをしているようにしか見えなかった。
次にコロニーの街のデザインが、「ブレードランナー」のセットをそのまま持ってきました、と聞いても驚かないぐらいそっくり。製作者たちは、おそらく同じ原作者の作品を基にした「ブレードランナー」へのオマージュのつもりで、そのようなプロダクション・デザインにしたのかもしれないが、あまりに似てい過ぎて、なんだかちょっとえげつない(?)かもと思ってしまった。
それから、アクションシーン満載で、なかなか良く出来ていたシーンもあったのだけれど、とにかく全体がデジタル・エフェクツで構築された世界というのがあからさまなので、リアリティ感覚が薄く、いまひとつ入り込めないという気がした。このあたり、クリス・ノーランなどと比べると、監督のレン・ワイズマンは、まだまだ「格」がずっと下だなあ…と思わざるを得なかった。
Wednesday, August 1, 2012
SAB Los Angeles Workshop for Young Dancers 2012
SABことスクール・オブ・アメリカン・バレエの「若いダンサーたちのためのロサンゼルス・ワークショップ」が一昨日の月曜日から始まった。(このワークショップについての説明はこちら。去年のワークショップについてはこちら)
今年も、スケジュールは去年と同じ。指導陣は、去年も教えに来たDarci Kistler、Katrina Killian、それと、去年来たSean Laveryに代わり、Sheryl Wareという先生が来ているとのこと。
今年も80人ほどの生徒を3つのレベルに分けているが、今年は11歳~12歳の応募者・合格者が多かったのか、Level Aは10歳~11歳半、Level Bは11歳半~12歳半、Level Cは12歳半~14歳という分け方になっている。ただし、去年は完全に誕生日で分けられていたのだが、今年は、初日のPlacement Classで、Level Cに入れられていた生徒が5人ばかりLevel Bに下げられていたとのこと。幸い、娘はそのままLevel Cに残らせてもらったが、自分より半年ほど年長のクラスメイトが1人、Level Bに下げられてショックを受けた様子だったとか。
最初の3日間のレッスンを受けた感じでは、難易度は去年と変わらない気がする、と。まあ、娘たち(娘のクラスメイトでは、去年受講した生徒は1人を除き、全員参加。さらに2人のクラスメイトが今年は補欠合格をもらって参加しているとのこと)も、それなりに進歩しているだろうから、去年のLevel Bよりは難しい事をやらされているのだろうとは思うけれど。(っていうか、そうじゃなかったら困る~~~)
ちなみに、参加費は去年より100ドル上がって、10日間(月~金で2週間)で1100ドルなり。(その他に、登録料75ドルが必要)
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