Saturday, September 19, 2015

夏のTVドラマ:「MR. ROBOT」&「HUMANS」

かつてアメリカのTV界の1年間は9月に始まり5月に終わるものだった。
アメリカ人たちは夏はTVなんて観ないものという前提で、新エピソードの放映は5月に終え、6月〜8月は新エピソードの放映は無し。9月最初の月曜日であるLabor Dayが終わると、各局は前年度から続投する人気番組の新たなエピソードを放映し始め、終了した番組を埋め合わせる新番組の放映を開始する。

ところが、5年前ぐらいから、従来のスケジュールで放映されるドラマが夏休みに入った途端に開始する番組が増えてきた。
「Mr. Robot」と「Humans」は、今年の夏にデビューしたドラマの中でも特に優れもののドラマだった。

Mrロボット(クリスチャン・スレイター)とエリオット(ラミ・マレック)

「Mr. Robot」の主人公、エリオットはニューヨークのサイバー・セキュリティ会社オールセイフに勤めるエンジニア。天才的なハッカーだが、人付き合いが大の苦手。同僚のアンジェラに密かに好意を寄せているが、ぎこちない会話しかできない。或る日、エリオットは、オールセイフにとって最大のクライアントであるEコープのサーバへのサービス攻撃に対処するため、同社の施設に出向くがそこで「fソサエティ」という名の付けられたファイルに遭遇する。かねてから巨大企業であるEコープに不信感を抱いていたエリオットは、「こっそり残しておいて欲しい」というメッセージを発信するfソサエティのファイルを咄嗟に削除せずに休止状態にして残してしまう。その直後、エリオットは地下鉄でfソサエティのリーダーで「ミスター・ロボット」と名乗る中年の男から接触を受ける。fソサエティはハッキングによって人々の負債の記録を消すというデジタル革命を計画しており、エリオットはミスター・ロボットから仲間にならないかと誘われる...

私はコンピュータやサイバー・ワールドに疎い限りなくローテクな人間なので、「Mr. Robot」に出てくるちょっとした専門用語がわからなかったり、ハッキングの過程がすぐに飲み込めなかったりして、家族に迷惑をかけながらの視聴だったが、それを除けば、「Mr. Robot」は滅法面白いドラマだった。先読みのできないストーリー展開もさることながら、カメラの構図や照明などが全くTVドラマのスタイルとはかけ離れていて、むしろインディーズ映画かヨーロッパ映画(特にデンマーク映画あたり)を想起させるような映像が実に新鮮だった。




もう1つの「Humans」は、近未来のイギリスを舞台に、「シンス(=Synth、synthetic=合成品の略)」と呼ばれるヒト型人工知能に関わる人間たちを描いたドラマ。

ジェンマ・チャンが人間そっくりの人工頭脳を演じる「Humans」

シンスは、メイドや看護師など、人間たちの日常生活のアシスタントとして広く普及しているという設定になっていて、ホーキンス家で働くことになるアニータもその1人だった。ホーキンス家の母親ローラは弁護士業が忙しく、3人の子供たちを含む家族の世話まで手が回っていないと思った夫のジョーは、黒髪が美しい東洋系の顔立ちをしたシンス、アニータを購入したのだった。末っ子のソフィはすぐさまアニータになつき、ジョーも息子のトビーも魅力的なアニータが家族の一員になったことにまんざらではない様子だが、ローラだけはどこか他のシンスたちとは異なるように思えるアニータが自分の家庭に入り込んできたことに違和感を覚える。それもそのはず、アニータは他のシンスたちと違い、感情や記憶、自分の意志さえも有するという「知覚型シンス」だったのである...

ヒト型人工知能の在り方について問う作品では何と言っても「ブレードランナー」が有名だが、「Humans」でも、もし人工知能がほとんど人間と変わらない存在になったら?という問いが繰り返される。
ちなみに「知覚型シンス」の誕生の背景には、ほぼ手塚治虫の「鉄腕アトム」と同じバックストーリーが用意されていて、クリエイターたちは「鉄腕アトム」のことも知っていたりしたのかしら?と思ったりした。



Tuesday, September 1, 2015

これまたちょっと惜しかったアクション映画2題/「コードネームU.N.C.L.E.」と「Hitman: Agent 47」

8月も終わり、娘の学校も始まり、試写行き放題の夏が終わりました。
その夏の最後の試写で観たアクション映画2題は、ちょっと残念な出来でした。

まずは1960年代のスパイものTVドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」を、ガイ・リッチーが映画化した「コードネームU.N.C.L.E.」。


「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」や「シャーロック・ホームズ」など、スタイリッシュな映像で小気味良くアクションを見せるのが得意なリッチーなので、60年代のオシャレめレトロな楽しいアクション映画を期待して観に行ったのだけれど、なんか全体が固い印象。悪くはなかったんだけど、「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」の時のように爽快感に欠ける気がしたのと、クスッと笑えるユーモアもそれほど無くて、味付けが薄過ぎる料理を食べた時のようになんか物足りない読後感ならぬ「観後感」があったのは残念。
その物足りなさの原因の1つはキャスティングかも。オリジナルのTVドラマ版でロバート・ヴォーンが演じたナポレオン・ソロは新スーパーマンのヘンリー・カヴィル、デヴィッド・マッカラムが演じたイリヤ・クリヤキンはアーミー・ハマーが演じているんだけど、この2人、妙に真面目くさっているというか、硬直している感じでスパイものヒーローに必要なしなやかさが無いような気がした。2人に絡むヒロインを演じているアリシア・ヴィキャンデルもそれほど美人でもないしセクシーでもないし、それを補うような愛嬌も無いし。
まあ、退屈はしなかったけれど、続編も観たい!と思わせる作品でも無かったかな。




それよりさらに惜しかったのは「Hitman: Agent 47」。


予告編を観たらスピーディなアクションが面白そうで、B級作品だというのを承知で観に行ったのだけれど、映画というよりはビデオゲームを映画のフォーマットに直しただけのような作品で、少し時間が経ったらどのようなストーリーだったかをさっぱり忘れてしまうのではないかと思うほど薄っぺらなストーリーだった。
観た後で知ったのだが、この映画、2007年の米仏合作映画「ヒットマン」のリブート作品だったようで。オリジナル版はビデオゲームを映画化したものだと知り、大いに納得。でも、オリジナル版も、映画評を総括したロトゥントマトズによると好意的な評を書いたのはアメリカ&カナダの映画評論家のうち14%。そんな作品をわざわざリブートする必要ってあったのだろうか??



映画本編は予告編を25倍の長さに延ばしただけってな感じの映画でした。