Thursday, December 17, 2009

AVATAR: ジェームズ・キャメロン復活!



ジェームズ・キャメロンが12年ぶりに劇映画を監督した話題作「AVATAR」の試写を観て来た。

私は個人的にキャメロンの前作「タイタニック」を全く評価していないので、「AVATAR」についてもちょっと懐疑的だった。それに、それまであちこちで見られた主人公の青いエイリアンたちの造形がなんだか爬虫類を思わせる感じで、こんな主人公たちに共感できるのかも疑問だった。

でも、「AVATAR」はそんな先入観を一気に吹き飛ばしてくれる上等な出来のエンターテイメントだった。

「マトリックス」を想起させるようなアバターと人間のアイデンティティの絡みの面白さから始まって、環境問題、大航海時代から始まった世界の植民地の歴史、アメリカの西部開拓史などなどに関連する問題を含んだストーリー、伏線が実に上手く活かされている脚本、そして、CGIであることを意識させないほどリアルで有機的に見えるCGI技術の素晴らしさ(CGIテクノロジーもここまできたのかと感嘆させられる)と、どこを取っても超一級の仕上がりだった。クライマックスの戦闘シーンのスリルも鳥肌もので、12年のギャップを全く感じさせず、「ターミネーター」&「T2」、「エイリアン2」のキャメロンが健在であったことを見せつけて大満足の出来でした。

割高の3D料金を払っても観に行く価値が絶対ある映画です。

Friday, October 23, 2009

TV 鑑賞記


9月にアメリカの新TVシーズンが始まってから1ヶ月余り。今まで観てきたドラマ、新しく観始めたドラマをちょっとまとめてみた。

今まで観てきたドラマ:

「CSI:科学捜査班」
ウィリアム・ピーターセンがローレンス・フィッシュバーンに代わったことにはかなりガッカリしたけれど、ドラマとしては相変わらず脚本がしっかりしているし、とにかく、こんなに長い間、続いているドラマなのにネタが尽きないし、マンネリ化しないだけでもスゴイ。こうなったら最後まで観続けてあげたいと思っている。

「Fringe」
FBIエージェントのヒロイン、オリヴィア・ダナムと、彼女をサポートするウォルター&ピーター・ビショップ親子が毎回、遭遇する超常現象にはいつもワクワクさせられる。毎週、「今週の超常現象」みたいな感じで、人間爆弾やら、人食いモグラ青年やら、骨髄ヴァンパイアやら、次々と奇々怪々な事件が起こる。映像もテクノロジーも違うけど、小さい時に怖々と見ていた円谷プロの「怪奇大作戦」を思い起こさせるようなノリが好き。精神病棟に入っていたウォルター博士(「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」の王役を演じたジョン・ノーブルが素晴らしい)のへんてこりんだけどラブリーな行動も楽しい。

「Lie To Me」
“人間嘘発見器”でも呼びたくなるティム・ロス演じる主人公が、相手の嘘を見破っていくだけという設定のドラマでは厳しくないかい?と、最初は思ったけれど、どうしてどうして、手を変え品を変えて、いろいろなケースが持ち込まれてきて飽きさせないし、ロスのエキセントリックな持ち味が120%活かされていて、スリリングなドラマ作りに成功している。

「HEROES ヒーローズ」
すっごく面白かったシーズン1、いきなり失速したシーズン2、そしてシーズン2の失策を挽回することが期待されていたが果たせなかったシーズン3に続くシーズン4。まあ悪くはないけれど、シーズン1の輝きは戻っていないというのが正直なところ。やっぱり、「Save the cheerleadr, save the world.」のスローガンの決着のつけ方にイマイチ盛り上がりが足りなかったことと、その後、目的を失ってしまったヒーローたちに生気を吹き込むことができなかったこと、さらに、それを補おうとこれでもか、これでもかと新しいスーパーたちを加えたのは失敗だったと思う。

「Dollhouse」
謎の会社ドールハウスを追ってきたFBIのエージェントが、ドールハウスの従業員になるあたりから、ちょっとストーリー展開がわざとらしくなってきた。あと、主演のイライザ・ダシュクが大根ちゃんなので困る。近日放映のエピソードに私が好きな「サラ・コナー・クロニクルズ」のギャル系ターミネーターのキャメロンことサマー・グローがゲスト出演するそうなので、それまでは観ようかと考えている。

新しくスタートしたドラマ:

「Flash Forward」(上の写真が出演者たち)
世界中が全く同じ瞬間に失神状態におちいり、その間に未来の自分の“夢”を見た(=フラッシュバックではなくてフラッシュフォワード)という事実の謎を追いつつ、自分の未来に対して悲喜こもごもの思いを持つ人々を描くドラマ。レイフ・ファインズの弟で「恋におちたシェイクスピア」のジョセフ・ファインズ主演。パイロット・エピソードの特撮の映像はなかなかのものだった。今年の新番組中、一番の期待株。

「Trauma」
大事故の現場に向かう救命隊員たちが主人公のドラマ。パイロット・エピソードの特撮の迫力には度肝を抜かれた。TVでもここまで出来るのか!と感心した。人間が死に様をネタにする医療ドラマというのは苦手なジャンルなのだが、大事故の瞬間、人間はどういう反応を見せるか、という描写には興味深いものがあるので、観ることにした次第。

「The Forgotten」
迷宮入りになりかかっている殺人事件の被害者を探し出す民間人のボランティア・グループ(その1人をクリスチャン・スレーターが演じている)の活躍を描くドラマ。冒頭の「アメリカン・ビューティ」風(「サンセット大通り」風と呼ぶべきか)に、“忘れられた(forgotten)”死者の声からドラマが始まるところは、ちょっと“クサイ”んだけど、殺人犯を探すのではなく、まず被害者を探すというアプローチにはちょっと新鮮さがあるので、観続けている。ただ、なんとなくキャンセルされそうな予感もあったりして…

「Eastwick」
映画「イーストウィックの魔女たち」をTVドラマ化したもの。話がずっと続いていく“シリアル”タイプのドラマなので、今後の話の展開に依って興味が持続するかどうかが決まりそう。

というわけで、始まる時にワクワクした気分にしてくれるのは、これまで観てきたドラマの中には3本(「CSI」、「Fringe」、「Lie to Me」)、新番組の中には2本(「Flash Forward」、「Trauma」)なので、今年は新番組が“旧番組”に負けていることに。
それにしても、全部で9本の番組を観続けているけど、1日1本しか観られないことがほとんどなので、そのうち、ケーブル・レシーバーの録画キャパを超えてしまうのではないかというのが心配…

Friday, October 16, 2009

「舞姫 テレプシコーラ」第一部 完読!


9月から読み始めた山岸涼子の「舞姫 テレプシコーラ」第一部を、この間、読み終わった。
漫画はすぐに読めてしまうから、ブランディでも飲むような感じで(ホントか)ちびりちびりと読み惜しみしつつ読んできたけど、話が面白いから先が読みたくて読みたくて、仕事の合間に「10ページぐらいだけ!」と思って読み始めても、気がついたらまるまる1巻分読み終わっていた、なんてことも。

「テレプシコーラ」は、1歳半違いの姉妹、千花(ちか)と六花(ゆき)が主人公なのだが、「アラベスク」での姉妹同様、母親はバレエ教師で、姉がしっかりとした優等生タイプで妹は気が弱くすぐへたれるというキャラ。そこに、見かけは男の子みたいだが天才的にバレエが上手い謎の(?)転校生やら、太めゆえに拒食症になってしまう少女やらが絡み、バレエ・コンクールや、「くるみ割人形」の公演といった、山場のシーンが織り込まれて、本当にドラマチック。

しかし、何よりビックリしたのは、最終巻にあたる第10巻の展開で自分が大泣きしてしまったこと。
これまで、映画を観て泣いたことは何回かあるし、本を読んで泣いたことも1~2度はあった。でも、漫画を読んで大笑いしたことはあっても泣いた記憶は無い。しかも、ティッシュが何枚も要るほどの大泣き。漫画、それも山岸涼子作品を読んで大泣きするとは思いもよらなかった。
きっと自分でも知らないうちに、登場人物にえらく感情移入していたのだろう。

日本では、既に「テレプシコーラ」の第二部が始まって、単行本も出ているらしい。
また全巻出揃ったところで、買おうっと。

Tuesday, October 6, 2009

INGLORIOUS BASTERDS


もう先々週の話になってしまうけれど、配偶者に昼間の時間が取れた日があったので、マチネで映画を観に行くことにした。

選んだ映画はクエンティン・タランティーノの新作「イングローリアス・バスターズ」。
配偶者も私もタランティーノ作品は大好きで、最初のデートで映画談議に話が弾んだ後、2回目のデートで配偶者は私にいきなり「パルプ・フィクション」のサントラCDをプレゼントしてくれたことなんかもあった。
さて、「イングローリアス・バスターズ」。
まず、冒頭のクレジット・シークエンスのバックグランドミュージックに「アラモ」のサントラが登場。オープニング・シーンもちょっと「シェーン」を連想させる映像だったりして、フランスが舞台なのにいきなり西部劇調で始まった。いや、ヨーロッパが舞台だからマカロニ・ウエスタンの方が近いのかな。(上にコピーしたポスターなんかも、セルジオ・レオーネっぽい?)だったら、“クレープ・ウエスタン”とかなんとか呼ぶべき?なんて、くだらない想いが一瞬頭をよぎったりして。

ストーリーは、“イングローリアス・バスターズ”(“不名誉なろくでなしたち”という意:ただし、本来ならBastardsとスペルするところをBasterdsとしてるのはドイツ人が付けた仇名だからわざとミススペリングしているとか??)と呼ばれる、アメリカ人の少数部隊がフランスを占領していたナチスドイツ軍を次々と攻撃していくゲリラ戦記と、酷薄なゲシュタポに家族を皆殺しされた女性の復讐譚とが、並行して進行し、最後に“Operation Kino”と呼ばれる作戦で、2つのストーリーが集約するという形を取っている。

話の展開も、登場人物のキャラ作りも、台詞も、ディテールも、さすがタランティーノ、というか、映画という媒体を知り尽くしている人物によるものだということが、すごく良く解って、観ていて心地良かった。

キャスティングも非常に上手い。イングローリアス・バスターズの中には、“ドイツ語に堪能なイギリス人将校”や、“オーストリアからアメリカに移民したユダヤ人”という設定のキャラが出てくるんだけれど、そのいずれにも英語が堪能なドイツ人俳優を起用。アメリカ人、イギリス人、ドイツ人のいずれが観ても、しっかりリアリティのあるキャスティングになっている。(この言葉の問題は、もしかして「キル・ビル」でルーシー・リューを日本人にした失敗から学んだのかも?なんて邪推ですが)

しかし、キャスティングにおける最も顕著な成功は、何といっても、オーストリア出身の俳優、クリストフ・ヴァルツの起用だろう。ヴァルツの演じたハンス・ランダ大佐は、表面上は非常に紳士的で優雅ですらあるが、教授と見まがうような容貌の下にはサディスティックな怪物が潜んでいるという不気味さを体現していて見事だった。ちなみに、ヴァルツはオーストリア生まれという生い立ちもあって、語学に堪能。映画の中でも、まずは流暢なフランス語を披露した後、「私には英語の方が楽なので」とことわって(最初はアメリカ人の観客のための御都合主義的な言い訳かと思ったが、実はしっかりとした意味があることが後で判る)、これまた流暢な英語で台詞をしゃべる。もちろん、母国語であるドイツ語は完璧。さらに、イタリア語まで披露するシーンがあって、そのマルチリンガルぶりには、大いに脱帽した。
「イングロリアス・バスターズ」は、このクリストフ・ヴァルツの演技を観に行くだけの目的で観に行っても損はしない映画である。

Sunday, September 20, 2009

バレエはドラマだ



クラシック・バレエ好きな私が子供時代に夢中になったのは山岸涼子の「アラベスク」。背が高いことにコンプレックスを持つノンナは特に共感が持てるヒロインだった。
その山岸涼子がもう何十年ぶりに長編バレエ漫画ジャンルに戻って来たのが「舞姫 テレプシコーラ」。
ソ連時代のレニングラード、キーロフ・バレエを舞台にした「アラベスク」に対し、「テレプシコーラ」は現代日本。主役も準プロのバレエ学校の学生ではなく、小学校高学年~中学生のヒロインと、随分身近な存在になっている。それでも、ストーリー展開はなかなかドラマチックで夢中で読み進んでしまう。(上の写真は、今日、読み終わった第4巻)

ドラマチックといえば、娘のバレエ学校では、恒例の11月・12月上演の「くるみ割人形」の配役が決まりつつあるのだが、今年も希望の役がもらえた子、出たかったシーンに出られなかった子、去年に引き続き同じ役を振られて落胆する子などなど、悲喜こもごも。
ただ、小学校中学年の子供が希望通りの役がもらえなくて、涙ぐむのはしょうがないとしても、その親がそれを不満に思ってスタッフに苦情を言うのを目撃した時は正直言って、何だかなあ...と思った。そうしたら、その親にとどまらず、孫娘が去年と同じ役にされて不満をぶちまける祖父母、他のクラスメートと同じ役をもらえずにガッカリする娘のためにスタッフと交渉しようとする父親等々と、「ウチの子が、ウチの子が」状態の親が続出している模様で、驚くやら呆れるやら。
そのためか、今年の親の説明会では校長先生自ら一言。「『くるみ割人形』の配役は、このパフォーマンスに最適な役であるということを最優先させて選んでいます。御子さんの役に不満がある方は私か、学校のディレクターである○○に直接、言いに来てください。先生やオフィスのスタッフには苦情を持ち込まないように」去年は、こんなコメント無かったんだけど、今年はどうやら親バカ全開状態の親が多いみたい…

思うに、こういう親たちは「くるみ割人形」と春の発表会を混同しちゃっているのではないかと。
「くるみ割人形」は、あくまで学校付属のバレエ・カンパニーが上演するパフォーマンスであり、観客の大半は出演者の家族・友人ではない。(なんたってこの公演は、11月、12月それぞれ4回ずつ、計8回もあるのだから。)それゆえ、ホリデーシーズンに「くるみ割人形」を上演する他のバレエ団と共にロサンゼルス・タイムズ紙に広告を出しても恥ずかしくないクオリティをキープする必要がある。発表会の時のように、娘のリリアンちゃんや孫のクリスちゃんが愛嬌だけで踊って可愛い舞台であってはいけないのである。スタッフに苦情を言いに来た親たちにはそれが解っていないのではないか。

もっとも、こういう世界には不公平もある。先生の親族・友人の子供、親がバレエ学校でボランティアしている子供、親が多額の寄付をしている子供なんかは、もちろん良い役に就く。いわゆる“えこひいき”もある。でも、それはどこのバレエ学校に行ったって同じこと。いや、どこの世界にだってそういうことはあるものだから(Life is not fair.人生は不公平なものだからね)、親の立場としては、子供たちも世の中の不公平・不条理を経験しておいた方がいいのだ、と達観するしかないんですね、これは。

Tuesday, September 15, 2009

Cloudy with a Chance of Meatballs


日本でも今週の土曜日に公開予定のソニーによる3Dアニメーション、「Cloudy with a Chnace of Meatballs」(日本公開タイトル:「くもりときどきミートボール」)の試写を観に行く。

最近のアニメーション映画は、各社、大人が観てもそこそこ楽しめるように工夫を凝らしているけれど(例えば、大人しか判らないジョークのネタやパロディを散りばめてみたり、声優に有名な俳優をキャストしたり)、それでも文句無く「面白かった!」と言えるのは、最近ではピクサー作品と「Coraline」ぐらい。
そんなわけだから、この「ミートボール」も大して期待しないで観に出かけたのだか、意外に面白くて嬉しいビックリ。
メッセージとしては、自分が一番居心地の良い自分のままで良いんだ、ということと、夢は捨てずに頑張ればいつかは叶うものだ、という、とりわけ特別なものではないのだけれど、ストーリーテリングが上手い。飽食のアメリカを風刺しているなんて深読みもできるけれど、それより話の展開を楽しむだけでも充分満足できるエンターテイメントだった。

Sunday, July 19, 2009

草刈民代さん


昨晩、NHK総合のドキュメンタリー番組「WxW」(“ワンダーワンダー”と読むらしい)が草刈民代さんを採り上げていたので、思わず見入ってしまった。(予告編の映像はココで。)

私は、草刈さんが最も活躍していた時期、既に日本には居なかったので、彼女についてはアメリカで観た「Shall We ダンス?」で知ったに過ぎないのだが、今年の4月に44歳の誕生日を目前にして引退した彼女の最近の心境を映したこの番組は非常に興味深く観た。

特に面白いと思ったのは、「瀕死の白鳥」を踊る彼女が、以前は死にゆく白鳥の悲哀だとか苦痛だとかを精一杯表現しようとしていたのに、パリに行って稽古をつけられた際に、パリ、オペラ座のフランス人のバレエ教師から、「瀕死の白鳥」は、動物である白鳥が力尽きて死んでいく様子を踊るバレエだから、人間的な視点からの感情表現は要らない、と言われて、目からウロコが落ちたように思ったというくだりだった。
これは、以前の彼女の解釈が間違っていた、フランス人バレエ教師の解釈が正しい、ということではなく、バレエはいかような解釈でも踊れるもの、逆に言うと、踊り手の視点・解釈を表現しなければいけないものなのであるということだと思う。
だからこそ、バレエは芸術であり、器械体操は決して芸術になり得ないのだ。

それにしても、身体を芸術の媒体にするバレリーナの肉体のなんと美しいことよ!

Saturday, June 13, 2009

オビ=ワン・ケノービが居たよ


今日は、娘のバレエ教室の幼年部の発表会。
娘のレベルのクラスだと先日のスプリング・コンサートの出演になるのだけれど、今日は、Pre-Balletのクラスの御手伝い。6歳の女の子たちの先頭に立ってスキップしたりギャロップしたり、御辞儀の御手本を示したりという黒子さん的な舞台出演でした。

その御手伝いが終わって楽屋に荷物を取りに行った時のこと。
なんか見たことがある人が居るなあ…ああ、ユアン・マクレガーに似てるんだ。っていうか、本人じゃん。でも、なんで東洋人の女の子と話をしているんだろ?御友達の娘の発表会を観に来たのかなあ?でも、周りに東洋人の親らしき大人も居ないし…
と思いつつ、待たしている人が居たので「?」マークを頭の中に残しつつ楽屋を後にしました。

家に帰って調べてみたら、マクレガーは2006年にモンゴルから当時4歳の養女をもらっているんですね。プログラムにも、その養女の名前とマクレガーの姓でちゃんと載っていました。

最近では「天使と悪魔」のカメルレンゴ役が印象に残っているけど、娘に話しかけている彼はパパの顔でした。

Friday, June 12, 2009

The Taking of Pelham 1 2 3


トニー・スコットの新作「The Taking of Pelham 1 2 3」を観た。(日本公開タイトルは「サブウェイ123」というらしい。)

映画に詳しい人だったら既に知っているに違いないことだが、これは1974年に公開された「サブウェイ・パニック」のリメイク。(原作があるので、厳密には再映画化と言った方が正確かもしれないけれど)
4人の男たちによる用意周到に計画されたニューヨークの地下鉄ジャック。乗客たちを人質に取り、首領格の男は30分以内に要求する現金を届けないと1分に1人ずつ人質を殺していくと宣言する。犯人とやり取りするのは、地下鉄公安局職員のガーバー。時間と闘いながら犯人と交渉を試みていくが…

オリジナル版では犯人グループの首領をロバート・ショウ、ガーバーをウォルター・マッソーが演じていて、人質の身の上や時間との闘いにまつわるサスペンスもさることながら、いぶし銀のような風格のある名優2人の心理戦を伴うやり取りを観ているだけでもスリリングなB級アクション映画の名作だった。

一方、新版はとにかく派手。まず、ショウが演じた犯人グループのボスがジョン・トラヴォルタで、マッソーが演じていたガーバーがデンゼル・ワシントンというキャスティングだけでも、大きく違う。トラちゃんは、とにかくキレまくるし、デンゼルは緊張しっ放しでマッソーの飄々とした持ち味から生まれるゆとりが全く無いから、テンションは上がりっ放し。それは、おそらく監督のトニー・“トップ・ガン”・スコットの意図したところなのだろうけれど。CM畑出身のスコットらしく、MTV風のカメラワークと編集は時としてエネルギー・レベルアップに効果的だったけど、ちょっと多用し過ぎたきらいがあって、鼻についたところも。しかし、中盤、身代金を届ける警察のカーアクションの迫力は御見事。或るシーンでは、思わず「オーマイガッ!」と両手で頭を抱えてしまったよ。

ちょっとサービス過剰な展開・演出・台詞もあったけど、「ミスティック・リバー」のブライアン・ヘルゲランドの脚本はかなりタイトに構築されていて、全く飽きることの無い2時間弱。映画館の御代の価値アリの映画でした。(って、試写会だったからタダだったんだけどねー笑)

Monday, May 11, 2009

Ballerina


今日(ってもう昨日になってるけど)は母の日。配偶者に何したい?と聞かれたので、前々から気になっていたフランスのドキュメンタリー「Ballerina(バレリーナ)」を観に行きたいとリクエスト。土日の午前11時限りの単館公開なので、日曜日にしては早めの朝ごはん(配偶者の作ってくれたクレープ♪)を済ませて、サンタモニカのアートハウス館Laemle Monica(レムリ・モニカ)へ。

「Ballerina」は、前キーロフ、現マリインスキー・バレエに属するバレリーナ5人のバレエ人生を垣間見せてくれるドキュメンタリーだが、同時に、ロシアではバレエという芸術がいかに愛され、リスペクトされ、シリアスに扱われてるかを改めて実感させてくれた。
ロシアのバレエ学校やバレエ団の世界がいかに厳しいかは、大好きなバレエ漫画「アラベスク」を読んで昔から知っていたけれど、バレリーナたちの実際の映像は、凄まじいほどのテクニックと目を見張ってしまう強靭さを備えた美しさで観客たちを圧倒しまくりだった。
ちょっと残念だったのは、最近、バレエに熱が入って来た娘が中盤からいかにも飽きていたということだった。まあ、ほとんどが字幕だし、バレエ関係者たちのインタビューも多くて全部がダンス、ダンス、ダンスじゃなかったのでしょうがなかったかもしれないけれど、バレエのシーンだけでも、しゃきっと観て欲しかった。
逆に驚いたのは、バレエに対してそれほど興味が無いはずの配偶者が涙していたこと。まあ、コダックのコマーシャルでも涙する人なので、考えてみればありがちなんだけど、ちょうどロサンゼルス・タイムズ紙の主幹映画評論家ケネス・テューランが「バレエに興味の無い人でも、観れば心変わりしたい気持ちにさせられる」と書いてあったので、オジサンの変化は面白かった。

さて、今週末は、娘のバレエ学校の春の公演。若きバレリーナ予備軍たちが楽しく踊る舞台は観ていて本当に気持ち良いので、手前味噌ながらとても楽しみである。

Friday, May 8, 2009

TVドラマ雑感



9月から新シーズン開始のアメリカTV界では、そろそろシリーズ物のシーズン・フィナーレの時期になってきた。
現在、観ているドラマは、週8本。中には気まぐれ程度にしか新エピソードを放映してくれないドラマもあるが、我が家は私や配偶者の仕事の都合でTVが観られない日も珍しくないから、結局、衛星チューナー内のデジタル・レコーダーにどんどん未見のドラマが溜まっていく…いかんなあ…
というわけで、最新エピソードというわけにはいかないのが苦しいところだけれど、今シーズン追ってきたドラマをちょっとまとめると…

「HEROES」
シーズン3にあたる今シーズンも、登場人物が相変わらず多過ぎるし、シーズン2以上に何だかまとまりの無いストーリー展開になっているのが残念。ストーリーのフォーカスがあっちゃこっちゃに移るし、誰が誰の味方で、誰が“ヒーロー”で誰が悪者なのかが相変わらずグレイ。しかも、週単位でそれがコロコロ変わった時期があって、フラストレーションたまりまくりでした。シーズン1はあんなにエキサイティングだったのに…

「REEPER」
親が息子である自分の魂を悪魔に売ったために、悪魔の手下として働かねばならなくなった青年サムが主人公のドラマだけど、毎回、地獄から抜け出した悪魔を追って退治して、というパターンで御話が展開するので、ちょっとマンネリ気味。それから脱却するためにか、追加キャラをいろいろ登場させているけれど、どれもキャラとしてのインパクトがイマイチ。特にガックリきたのは、サムの親友の1人であるソックが母親の結婚した日本人男性の娘、つまりステップシスターにムラムラとするというサイドストーリーで、その継妹に田村英里子がキャスティングされていたこと。ソックの年齢設定がおそらく20代後半で、継妹は学生でおそらく20代前半という設定なんだろうけど、35歳の田村英里子が露出度の高いタックトップやらショーツやらで登場し、キャピキャピのぶりっこ演技をしているのが、いかにも苦しかった。

Fringe
「スター・トレック」でまたまた注目を集めているJ・J・エイブラムス製作総指揮の超常サスペンスもので、毎回「げ~~、何これっ?!」という現象をテーマにしたエピソードでドキドキハラハラ度も高いのだけれど、難点は新エピソード放映がすごく疎らなこと。TVシリーズは基本的に毎週放映だからこそ、「次回をお楽しみに」という気分になるし、キャラにも親近感が出るのに、お預けをくらったようで寂しくなる。

Lie to Me
エキセントリックなキャラを演じるティム・ロスが芸達者なので、彼が嘘を見破る過程を観るのは楽しい。ただ、最近、彼の過去が明らかになったり、同僚の結婚の危機なんかが浮かび上がってきたりして、キャラの私生活がドラマに入って来たのがちょっと気になる。そういうサイド・ストーリーが主になってしまうと、ドラマのアイデンティティが揺らいでしまうことが往々にしてあるので。

Life on Mars
2008年に生きていた刑事が事故をきっかけに1973年にタイムスリップしてしまい、時代の違いに戸惑ったり(「携帯を無くしてしまったんだ」などと言うと「携帯って??」というポカーンとした反応が返ってきたりする)、若き日の自分の両親に出会ったりというドラマが面白かったのだが、最終回は本当に衝撃的で、思わず口があんぐり。このドラマ、イギリスで放映されたドラマのリメイクなので、興味がある人はイギリス版のDVDが出ているので是非、チェックを!

「CSI」
グリッソムことウィリアム・ピーターセンが降板してから、番組に対する熱意がちょっと下がってしまったけれど、謎解きのドラマの展開は相変わらず面白いので観ている。ピーターセンの後釜のローレンス・フィッシュバーンはまあまあといったところ。

Terminator: Sarah Connor Chronicles
未来から送られてくる殺人ロボットたちとサラ&ジョン・コナー親子の闘いから、リキッド状(要はロバート・パトリック・タイプの)ターミネーターが率いる謎めいたハイテク会社や、未来から何の目的でやって来たのかが明らかにされないミステリアスな女戦士などを巻き込んだストーリー展開になってから、ペースがちょっとスローダウン気味。まあ、映画「ターミネーター」3部作のような殺人マシーンとの闘いに終始するわけにはいかないのも解るけれど。ちなみに、このシリーズも今シーズンで終りだとか。近く「Terminator Salvation」も公開されることだし、終りにする潮時なのかもしれない。

「Dollhouse」
イライザ・ダシュク演じるヒロイン、コードネーム:エコーをはじめとしたいわくつきの過去を持つ若い男女の記憶を操作し、クライアントの望むままの人間(つまり或る種の“人形”)にするというハイテク高級エスコート・エージェンシーを舞台にしたドラマ。最初は、エコーのキャラが虚ろで感情移入しにくかったのだが、次第に複雑な背景や、アルファと呼ばれる謎の人物の存在がチラチラ見え始めて面白くなってきた。

あと、HBOのオリジナル・シリーズでアフリカを舞台にした「The No.1 Ladies' Detactive Agency」というのがメチャクチャ評判が良いので、録画してあるんだけど、パイロット・エピソードが2時間枠なので、なかなか観るチャンスに恵まれず…早く観なくっちゃ!!

Wednesday, May 6, 2009

STAR TREK


科学的思考が苦手だし、用語を認識するのも苦手ということで、普段はSF小説とかSFジャンル、特に宇宙が絡んだりする映画は敬遠しがち。

でも、今週の金曜日から全米公開される「スタートレック」は、「エイリアス」や「MI:3」のJ・J・エイブラムスの作品なので、観ておかなきゃ!と気合を入れて試写会に行って来た。

いやあ、行って正解でしたね。
とにかくストーリーに引き込まれて楽しんであっという間の2時間6分でした。

スペクタクル、アクション映画によくありがちなパターンは、まず映画の冒頭に観客の注意を惹きつけるシーンを用意して、一気に観客をストーリーに引きずり込むという作戦なんだけど、J・Jは、息を呑むクライシスを御膳立てしただけでなく、その過程で主要人物たちの生い立ちとか境遇、キャラをしっかり描きこんでいるから、その後に展開するストーリーでも観客が主要人物たちにキチンと共感、感情移入ができる。その辺が、今夏、同様に話題作として認識されている「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」と大きく違うところだと思いました。

いや、「ウルヴァリン」もそれほど悪くはないんだけど、満足感が薄かったなあ、というのが正直な印象。
ヒュー・ジャックマンの肉体美は相当なもので、それを観に行くだけでも、特に女性陣は入場料の価値あり!って感じだけど、いかんせん、ダニー・ヒューストン(巨匠ジョン・ヒューストンの御子息)が悪役というのがちょっと物足りない。サイバートゥース役のリーヴ・シュライバーも猫顔でその辺はピッタリだったけど、ちょっとボディが緩い。等々と、いろいろ突っ込みどころがあって、もうちょっと煮詰めて引き締めて作れば、ずっと良い作品になり得たのにちょっと残念でした。

Wednesday, April 22, 2009

プレウォッシュ

アメリカの一戸建ての家のキッチンにはたいがい食器洗い+乾燥機がある。
食器1つ1つを手洗いするよりは、食器洗い機でまとめて洗った方が水の節約になるというのをどこかで読んで以来、デリケートな食器や什器、木製のもの以外は食器洗い機で洗うようにしているのだが、この食器洗い機、落ちにくい食べ物などは予めざっと洗い流してから入れないと、洗い残しが出てしまうのが困る。

でも、ウチにはプレウォッシュ・マシーンがあるので大丈夫!




我が家のプレウォッシュ・マシーン↓


ただ今御仕事中...






電気代もタダで(エサ代はかかるけど)仕事もキチンとこなす優秀なヤツです。

Friday, April 17, 2009

美は思わぬところに隠れている

インターネットのウィンドウを開くのにMSNのサイトで、こんな話題を見つけた。

イギリスの「スター誕生」、じゃ古過ぎるようだったら「アメリカン・アイドル」のような番組「Britain's Got Talent」に出場した47歳(当時)のスコットランド人女性が、センセーションを巻き起こしているという。
この女性、スーザン・ボイルは、今まで、年老いた母親と暮らしていた無職の独身女性。「1度も結婚したことは無いし、キスもされたことが無い」という、御世辞にも魅力的ではない彼女の夢はプロの歌手になること。今までは教会とカラオケでしか歌ったことが無いという彼女は、「Britain's Got Talent」で初めての桧舞台に立つ…

と、ここで動画を貼り付けたかったんだけど、なぜかYouTubeの動画は貼り付けを拒否。
なので、リンクを貼っておきます。(と思ったら、なぜかリンクすら貼れない…YouTubeの陰謀…?なのでコピー&ペーストしてください)

http://www.youtube.com/watch?v=9lp0IWv8QZY

是非、是非、このURLに行って観てください。
私は、この動画を観て、なぜか涙がボロボロ、最後は号泣しました。美は思わぬところに隠れているということに心を打たれたからかもしれません…

Saturday, April 4, 2009

提案8号と「カビリアの夜」



「キネマ旬報」誌の「ミルク」特集で、カリフォルニア州で提案8号が通った時の現地で経験したことを書くという仕事をした。

提案8号は、2008年5月に、カリフォルニアの最高裁が同性間の結婚を禁止することは州民の平等を謳った州憲法に反するという決議を出して、同性間の結婚を認める判決を下したことに反対する住民投票だった。
リベラルなカリフォルニアで提案8号が通過するのは難しいだろうと言われていたのだが、提案8号を支持する人たちは、モルモン教や、聖書で禁じられているという同性愛を排除するスタンスを取るキリスト教派の教会の信者たちを中心に、積極的なキャンペーンを展開し、11月4日、提案8号を通過させた。

私はストレートな既婚者であるけれど、結婚は、自分が人生を共にしたいという人間との共同生活だと考えているから、それが男性・女性の組み合わせだろうと、男性・男性の組み合わせだろうと、女性・女性の組み合わせだろうと、一向に構わないと考えている。私はキリスト教をはじめ、いかなる宗教の信者でもないゆえ、聖書をはじめとした教典に書いてあることを人生の指針とはしていないから、自分なりの信条に従って生きている。したがって、同性同士で結婚して幸せになれる人たちが居るなら、結婚を認めたって良いじゃないかと、単にそう思っているだけだ。

でも、世の中には自分の考え方・人生観・ライフスタイルと違うことをする人たちを排斥し、自分たちと同じ恩恵を受けさせたくないと考えている人たちが居る。そして、自分が住む州の半分以上の人間が、実はそういう狭量な人間だったということが判った時には、ちょっとショックだった。
黒人初の大統領が誕生したというエキサイティングなニュースを報じると同時に、提案8号が通過したことについて報じる新聞を読んで暗い気持ちになっていた私だったが、何気なく広げた社説ページで次のような投稿が目に入った:

「木曜日の朝、起きた時にはひどい気持ちがした。火曜日の選挙の結果だけなく、同性間の結婚に反対する人たちによる恐怖を利用して世論を操作するレトリックによって心を痛めていたからだった。
でも、その後、Eメールをチェックしたら、友人や家族たちの慰めのメッセージが入っていた。それから、私はこの16年間、付き合っている私の愛するパートナーと共にハイキングに出かけた。その後で、仕事に出かけたら、オフィスで、知り合ってたった数ヶ月しか経っていないストレートな同僚たちが私のところへやって来て、自分たちが選挙の結果をどんなに残念に思っているかを話してくれた。

その時、私には判ったのだ。私たちは、それでもここに居るのだということが。ゲイやレズビアンの人々は、それでも朝、目覚め、朝食を作り、生活費を支払い、その生活費のために必死になって働くという“急進的なゲイの計略”とやらを実行している。
その事実が、どうしてこんなにも満足感を与えてくれるのだろう?それは、提案8号を支持した人々は結婚を保護しようとしただけではなく、ゲイの人々を滅ぼそうとしたからだ。彼らは、私たちを暖かく迎えてくれた州で私たちが安心して生活する自由を破壊しようとした。彼らは、私たちに、仕事など就けない、友達など出来ないと考えさせようとした。ここには溶け込めないと思わせようとした。

そんな彼らに知らせてやりたいことがある:彼らこそ、ここには溶け込めないのだ。私たちは今回は勝てなかったけれど、この国がどのような方向に進んで行きつつあるかは明らかだ。提案8号の支持者たちよ、あなたたちの勝利を満喫するがいい。これがあなたたちの最後の勝利になるだろうから。」

サンタクルーズ在住、ジョーン・モシェラ

(原文)

When I woke up Thursday morning, I felt pretty bad. I was not only troubled by the results of Tuesday's elections but repelled by the manipulative, fear-mongering rhetoric of the anti-marriage proponents.

But then I checked my e-mail and saw messages of consolation from friends and family. Then I went for a hike in the hills with my partner, the love of my life for 16 years. Then I went to work -- where straight colleagues, whom I've known for only a few months, came up to say how sorry they were about the results.

And that's when it hit me: We're still here. Gay and lesbian folk are still waking up in the morning and pursuing our radical gay agenda of breakfast making, bill paying, exercise getting and hustling to bring home a paycheck.

Why is this so satisfying? Because the people who sponsored Proposition 8 don't only want to protect marriage -- they want to destroy gay people. They want to destroy our freedom to live and breathe easily in a state that has welcomed us; they want us to think we can't expect to go to work and find a friend; they want us to think we don't fit in.

Well, I've got news for them: It is they who don't fit in. We may not have won this round, but it's clear which way this country is going. I say to the sponsors of Proposition 8, savor your victory. It's your last hurrah.

Joann Moschella

Santa Cruz

この投稿を読み終わった時、何だか解らないけれど涙が出てきた。多分、その涙は「カビリアの夜」のラストシーンのジュリエッタ・マシーナの微笑を観て目に溢れてきたものと同じ類のものだったと思う。虐げられても、酷い目に遭っても負けずに生きていこうという彼女の強さに感嘆するオマージュの涙だったのではないかと。

Sunday, March 22, 2009

どら平太とオバマ大統領


土曜日は最寄の図書館に寄るのが日課になっていて、昨日は市川昆監督の「どら平太」(2000)をDVDの棚に見つけたので借りてみた。

市川昆監督は、「犬神家の一族」のように娯楽的かつ商業的な作品を撮る一方で、「股旅」のような作家性の強い作品も撮る非常に面白い監督さんだったけれど、アメリカに引越してしまったこともあって、晩年の作品は全く観ていないことに、去年、市川監督が亡くなった際に気づいていたので、これは良いめぐり合わせだと思って借りてみたのでした。

江戸時代の日本社会の仕組みや、「奉行」、「家老」、「藩」など、基本的な考えを全く知らない配偶者に、説明を加えながらの鑑賞は、時としてまだるっこしかったけど、中盤、どら平太が本領を発揮するあたりから、もうガイジンのことは放っておいて鑑賞に熱中。観終わったのは夜中の2時過ぎだったけど、少しも眠くならずに楽しめた。

作品自体は、「用心棒」の椿三十郎的なキャラが「遠山の金さん」の“手口”で世直しをするという、時代劇には珍しくないパターンなのではあるけれど、1つだけ、ガイジンの配偶者をも瞠目させるところがあった。

<ここからネタバレになります>



それは、最後の方のクライマックス・シーンで世直しを敢行した「どら平太」のスピーチ。

どら平太「悪銭に頼っていてはお城の台所は肥えても、ここに暮らす人たちの心は豊かにはなりません。だいたい物があり過ぎるということは良くありません。ほどほどが良いのです。武士も町人も本当の豊かさを求めて、与えられた国土を拓く。自ずから、人それぞれに生きる知恵を愛でる心が育まれて、御家は安泰、良民は万歳です」

アレ…?これって、似たようなことをごく最近聞いたような…?
と一瞬思った後、すぐに閃きました。
そうだ!コレって、一昨日、見たジェイ・レノのトークショーに出ていたオバマ大統領の言葉とほとんど同じ趣旨じゃん!

オバマ大統領「過去15年、20年、我々の経済成長の40%という非常に大きな部分が金融部門によって生み出されてきた。今になって判ったのは、その大部分が現実のものではなかったということだ。それは紙上の金であり、帳簿上の利益に過ぎず、簡単に無くなってしまうようなものだった。我々に必要なのは着実な経済成長だ。大学を卒業してくる若い人たちに、投資金融業者などではなくて、エンジニアや科学者、医者、教師になってもらわねばならないのだ。実際に物を作り、人々の生活を豊かにすることに貢献するような職業への報酬を高くすれば、我々の経済にはしっかりした基盤ができる。そうすれば、過去数年、非常に大きな問題になっているバブル経済のような問題は避けることができるはずなのだ」

つまり、ヤクザ者がヤクザな稼業で儲けた金=金融部門によって生み出された虚構の利益、と置き換え、国土開墾=科学技術に根ざした社会の進歩に置き換えると、どら平太の政策はオバマの政策にピッタリと当てはまるというわけです。
どら平太こと望月小平太は山本周五郎の創造した架空の人物ですが、おそらく江戸時代、そのような政策を考え、実行に移していた賢人大名や名奉行も居たはず。
江戸時代の日本の政治が21世紀のアメリカ合衆国の政治に重なるなんて、ちょっとエキサイティングなことじゃないですか!などと思った土曜日の夜更けでした。

Friday, March 20, 2009

オバマ大統領、トークショーに出演

昨晩のジェイ・レノのThe Tonight Showに、オバマ大統領が出演。現役の大統領がトークショーに出演するのは、前代未聞のことでかなり話題になっている。



オバマ大統領は、相変わらずリラックスした感じ。ジェイも、昨晩はかなりの真面目ムードで、政治の話題を中心に質問。時にジョークを交えながら、それでもジェイの質問にキチンと答えているオバマ大統領を観ていて、「この人、教師や教授でも実に優秀だっただろうな」と思った。私は、経済や政治については無知も良いところなのに、それでもちゃんと理解できるような回答だったから。

私がアメリカに来てから、4人の大統領の任期を経験しているけれど、オバマ大統領はその中でもやっぱり異色だ。この人なら、アメリカ国民のために国政をしてくれるような気がする、と、改めて思った。

Tuesday, March 10, 2009

LIE TO ME


前回の更新からほとんど1ヶ月経っちゃいました。
仕事がめちゃくちゃ忙しかったとはいえ、ちょっと反省…
仕事としては、レギュラーの仕事の他に、アカデミー賞の同時進行レポートをやったり(カウチに座ってラップトップをタイプしまくっていたので腰がアウチ状態に…)、ディズニー製作のTVドラマ(「ロスト」とか「グレイズ・アナトミー」とか「デスパレイトな妻たち」とか)の出演者たちのインタビュー取材に出かけたり、日本でも近日公開予定の映画「フロスト×ニクソン」の特集記事に寄稿したりとか、バラエティに富んでいて取り組んでいる時には面白かったけど、とにかく1日は24時間しか無いのは理不尽に思えるぐらいくるくると働いていました。

そんな時は、ホントに夜のTV鑑賞だけが楽しみ。寝る時間を1時間削ってもTVが観たいと思うのは軽い中毒症状かも?
アメリカのTV界は、9月に新番組を開始させるのが常だけれど、その中で必ず視聴率が振るわなくてシーズン・フィナーレの5月までもたない作品も結構ある。そんな番組の後釜として用意されている番組はたいがい1月から始まる。

今年の1月から始まった作品では、「Lie to Me」というドラマを結構熱心に観ている。
「Lie to Me」は、ティム・ロス(「レザボア・ドッグス」、「海の上のピアニスト」)演じる心理学者Dr.ライトマンが、専門分野であるボディ・ランゲージと顔の表情を分析して、様々な事件で鍵となる人物が嘘をついているかどうかを見抜き、捜査の協力をしていくというドラマ。これまで4話観てきたけど(これまで5話放映済みながら、例によって録画したまま未見のエピソードがある…)、事件を関係者の心理に焦点を当てた角度でとらえている点で面白いというのが今のところの感想。人間が記憶をたどる時には視線を左に泳がせるとか、こういう表情は嫌悪を表わす、軽蔑を表わす、後悔を表わす、という、分析を基にして、相手の心を読む過程に思わず「へええ~!」となる。
ライトマンの戦略・方法論は、だいたい決まっているわけだから、これからはどのような事件を扱い、どのような人物を登場させるかということで、面白さが決まっていくと思う。

Thursday, February 12, 2009

CORALINE


書くのが1週間遅れになってしまったが、「Coraline」という映画を観た。

「Coraline」は、イギリスのファンタジー作家、ニール・ゲイマンの同名ファンタジー小説を、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のヘンリー・セリックが映画化したストップモーション・アニメーションである。

11歳のヒロイン、コラライン(声:ダコタ・ファニング)は、両親と共にピンク・パレスという名前は立派だが、実際は古ぼけたビクトリアン様式の家に引越してくる。
引越してすぐ、コララインは、家主の孫だという少年と出会うが、ちょっと生意気な彼女は、この少年ワイビーを「うるさくて変なヤツ」としか認識できなくて友達になろうとはしない。しかし、引越したばかりの彼女には友達も居ないから退屈でしょうがないが、両親は自分たちの仕事や雑務で忙しくて、ちっとも構ってくれない。
退屈して邪魔ばかりするコララインに痺れを切らした父親の「この家を探検でもしてみたら」というサジェスチョンを実行に移したコララインは、リビングルームの片隅に小さなドアを発見して「秘密の抜け穴かも?」とワクワクするが、せっかく母親にもらった鍵で開けてみたら戸口はレンガで塞がれていた。ガッカリするコララインだが、その夜、何かの物音で目が覚め、音の正体を探りにリビングルームに来てみたら、小さなドアからトンネルが続いているではないか。迷わずトンネルの中に這い込んで、出口のドアを開けてみたら...!
そこには、入って来たのと全く同じリビングルームが!いや、同じじゃない。何だか良い匂いがする。匂いにつられてキッチンに行ったコララインがそこで出会ったのは...「ママ?」「おバカさんね、私はあなたのもう一人のママじゃない!」コララインが入り込んだのは、現実の世界と並行する「もう一つの」世界だった...

ちょっと「不思議の国のアリス」めいていて、「千と千尋の神隠し」に通じるところもあるファンタジーなのだが、ストーリーの摩訶不思議さとダークさが、とにかくセリックのストップモーション・アニメーションの造形と実にピッタリなのである。まるで、ゲイマンがセリックのためにストーリーを書き下ろしたかのように思えてしまうほど。「コラライン」の世界を具現化するには、CGではもちろん、手書きのセルアニメーションでも実現が難しい世界観と美的感覚が必須だから。

この映画、Laikaという聞きなれないアニメーション・プロダクション会社によって製作されているのだが、Laikaは、なんとナイキの社長、フィル・ナイトが創設した会社で、「コラライン」のリード・アニメーターを務めたのはナイトの実の息子、トラヴィス・ナイト。世界的に有名なスポーツ用品ブランドを創り出した会社と、手作り感が売りの1つであるストップモーション・アニメーションが関係しているなんて、ちょっと意外だけど、ちょっと素敵だと思う。

「Coraline」は、英語圏の映画評論家の87%から絶賛されていると共に、興行ランキング第3位でデビュー。商業的にも成功を収めそうで、嬉しい限りである。
ちなみに、私が試写で観たのは3Dバージョン。ストップモーション・アニメーションは被写体が3次元的な物なわけだから、3Dというのは道理がかなうし、「Coraline」のファンタスティックな世界が、よりリアルで、より活き活きと観えた。「Coraline」は、出来れば3Dで観て欲しい作品である。

Wednesday, February 4, 2009

PINK PANTHER 2


昨日は、「PINK PANTHER 2」の試写に行った。

この「PINK PANTHER 2」は、60年代から70年代にかけて作られた「ピンク・パンサー」シリーズを、ピーター・セラーズの当たり役、ジャック・クルーゾー警部をスティーヴ・マーティンが演じて2006年に復活させた新版「ピンク・パンサー」のシリーズ第二弾。
2006年に新シリーズ第1作めを子供に見せたら、何だか知らないけど気に入られたようで、今回も子供にせがまれての試写会行き。

そのほとんどがスラプスティックで、ベタなギャグばかりなので、作り手は笑わせようとしているけれど、どうにも笑えないシーンも随分あった。でも、まあ試写だからタダだし、子供は気に入ったようだからOKとしようというのが正直な感想。

でも、映画ファンとして一番驚いたのは、そのキャスト。1作目でもマーティンの相棒として登場したジャン・レノとか彼の上司役のジョン・クリースは解るけど、マーティンと一緒にチームを組むことになる各国の探偵の中に、アルフレッド・モリーナとかアンディ・ガルシアが居たり、マーティンに今どきのPC ( politically correct )なマナーを教えるインストラクターにリリー・トムリン、さらに驚いたのは数シーンの登場だけだったけど、胡散臭いイタリア人富豪役で出演していたジェレミー・アイアンズ。いずれも大スターというわけではないけれど、それなりの実績がある俳優たちだけに、こんな軽いコメディに出演していて良いのか…??エージェントも何も言わなかったのか?あるいは出演料が悪くなかったから、エージェントがプッシュしたのか?などなどと、映画を観ながら頭の中を疑問符がくるくると回っていた。

ちなみに、日本人刑事の役で、「硫黄島からの手紙」に出演していた松崎悠希という俳優さんが出演していた。日本出身の人なので、ところどころにはさむ日本語は当然ながらちゃんとした日本語だったし、英語の台詞も聞きやすくしゃべっていて、観ていて気持ち良かった。TVシリーズ「HEROES」のアンドウ君とかも、こういう俳優さんを起用してあげれば良いのに…

Friday, January 23, 2009

デクスター


12月から1月にかけて、アメリカのTVドラマは新しいエピソードをあまり作ってくれない。なので、録りためていた番組もバラエティが少なくなってしまうので、気まぐれに思いついて前々から興味を持っていた「Dexter」(日本TV放映題「デクスター~警察官は殺人鬼」)のDVDを図書館から借りてきた。

「デクスター」の主役は、デクスター・モーガン。マイアミ市警に務める血液のスペシャリストで、殺人現場に行って血の飛び散り方、残り方から、殺人の状況を推測する。(なので、日本公開タイトルの「警察官」とはちょっと違う。CSI=科学捜査班のメンバーに近い位置づけで、強いて言えば「刑事」ということになるだろう。)
デクスターは、警察官の父親が居る家庭に養子に入った生い立ちを持つが、幼い頃から殺害の衝動が強く、猫などの小動物を殺しては快感を得ていた。それを観た父親が、このままでは息子が連続殺人犯になると看破し、息子の殺害の衝動を正義のために利用するよう彼を誘導・教育していく。
そうやって、デクスターは正義の裁きから逃れることのできた唾棄すべき人間たちを密かに処刑していく。

主演のマイケル・C・ホールは、「シックス・フィート・アンダー」で葬儀屋の次男でゲイのデヴィッド・フィッシャーを演じて大ブレイクした俳優だが、「デクスター」でも、ちょっとマット・デイモン風のルックスだが中身はハンニバル・レクター、みたいなキャラを好演。ハマリ役だけれど、この人、将来、フツーの人の役が出来なくなるんじゃないかと、他人事だけど心配になったりして。
私はシリアル・キラーものが元々大好きなのだけれど、そういうのがあまり得意ではない配偶者は、最初、このドラマを観るのに及び腰だった。でも、実際に観てみたら、単なるグロテスクなシリアル・キラーものではなくて、ブラックなユーモアたっぷりの台詞、個性的な登場人物に加え、血液スペシャリストのデクスターが追う“正規”の事件と、殺人衝動を抑えられないサイコなデクスターが追う“裏の”事件とを並行させて描きつつ、デクスターに知の挑戦をしかけてくるアイス・トラック・キラーなるシリアル・キラーの話が絡まる複層構成になっていて全く飽きさせないドラマであることがわかり、夫婦でハマることに…

そんなわけで、現在、シーズン1のディスク2を図書館にリクエスト中であります。

Wednesday, January 21, 2009

大統領就任式と「スラムドッグ$ミリオネア」

昨日は、バラック・オバマ新大統領の就任式があった。
アメリカ合衆国史初の黒人大統領が誕生する歴史的瞬間とあって、ワシントンDCではもちろん、LAでもTVに釘付け状態の人が多かったと思う。子供の学校でも、教室で就任式を見せたようだった。
人種差別はまだまだ存在するけれど、黒人、白人を問わず、オバマが大統領に就任するのを観て感極まって泣く人たちを見ていたら、アメリカというのはやっぱりいろいろな意味でパワフルな国なのだと実感した。
普段は、単純でおバカな人たちが多いこの国を馬鹿にしているところがある私だけれど、この日はアメリカ人たちがちょっと羨ましく思えた。

その後で、ずっと観たいと思っていた「スラムドッグ$ミリオネア」を観に行った。


「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台はインドのムンバイ。日本やアメリカでしか暮らしたことの無い私のような人間には想像を絶するような住環境であるスラムで生まれ育った少年が、いくつもの苦難を経験して大人になっていくが、少年時代に出逢った少女に対する初恋の思いを貫く、と一言で書くとメロドラマみたいに聞こえてしまうような話だが、インディーズ一筋で作品を撮ってきたダニー・ボイルは、センチメンタリズムを適度に抑えて時にはユーモアも織り交ぜて描いている。

映画はいきなり主人公のジャマルが拷問されているところから始まる。インドのマフィアにでも捕らえられたかと思うが、拷問しているのはインドの警察。観客は、ジャマルが何をしでかしたのか、全く判らないまま、拷問シーンを見せられてオロオロするような気持ちになるのだが、やがて、この映画が、ジャマルが現在の状況に至るいきさつを刑事に話す形で進行していっているのに気がつく。バス停留所のベンチでチョコレートの箱を抱えたフォレスト・ガンプが見知らぬ老婦人に自分の身の上話を語っていくのと同じ構成である。

この語りの手法と、インド・ロケを敢行した映像の臨場感、躍動感溢れるカメラワークで、ともすれば暗く感傷的になりがちなストーリーが、スリリングでいっときも退屈させないジャマル青年の波瀾万丈の半生を描くドラマになっていて、社会派的なテーマや要素を持ちながらも一級のエンターテイメントに仕上がっていて感心させられた。

エンターテイメントと言えば、この映画の最後にインドっぽいエンターテイメントのオマケがついているので、ストーリーが完了しても決して席を立たないことをオススメしたい。

「スラムドッグ$ミリオネア」についてこれ以上語ることはネタバレになりかねないので控えるが、オバマの大統領就任式と「スラムドッグ$ミリオネア」という、ノンフィクションとフィクションのドラマを同じ日に観て思ったのは、人間、どんな状況でも希望を捨てちゃいけないんだ、ということでした。

2009年が希望という言葉に相応しい年になってもらいたいものです。

Saturday, January 17, 2009

Hotel for Dogs


映画雑誌に記事を書いているということでアメリカ映画協会(MPAA)に登録すると、大手の映画会社によるほとんどの作品の試写会に招待してもらえる。ほとんどの試写は、平日の夜7時とか7時半開始なので、主婦の私にはちょっと行きにくいのだが、家族向けの映画だと子供が行きたがるので、ちょっと夜更かしになってしまうけれど、行くことが多い。

先日、観に行った「Hotel for Dogs」という映画もそうだった。

「Hotel for Dogs」は、孤児になった16歳のアンディ(エリック・ロバーツの娘でジュリア・ロバーツの姪でもあるエマ・ロバーツ)と11歳のブルースの姉弟が犬を飼うことを許可してくれない里親(リサ・クドロー&ケヴィン・ディロン)に隠れて愛犬フライデーを飼っているが、或る日、フライデーをかくまっておくのに格好な廃業したホテルが近所に見つかる。元からそこに住んでいた犬2匹とフライデーを飼い始めた2人だが、冷酷な動物管理局の職員たちからレスキューした犬もどんどん増えていって…という御話。

映画の根幹は、それまで里親たちとうまくいかずに、住む家庭を転々としているアンディとブルースが決して犬たちを見捨てないというところにある(と思う)のだが、そのメッセージはいたって前向きであるものの、いかんせん、設定に無理があり過ぎる。まず、架空の街(NYにもシカゴにもLAにも見える)のダウンタウンのど真ん中に、かつては高級ホテルだったという建物が、中の家具・調度、食器などに至るまでそのまま、手つかずに残っているということ。犬たちの住処にするにあたり、発明の天才のブルースがいろいろな装置を考案するのだが、その多くが“犬はそんなこと、しないっしょ”と突っ込みたくなるものばかり。ドッグフードにしたって、あんな頭数の犬をまかなっていこうと思ったら毎日、すごい出費になる。ストーリーの展開にも、かなり無理が多いし、クライマックスにいたってはリアリティが失われるほどの楽観的。またまた“世の中、そーゆーもんじゃないってば~~”などと突っ込みたくなる。

子供向けとはいえ、映画の設定、展開にはある程度、リアリティが必要だと思う。もちろん、「チャーリーとチョコレート工場」や「ナルニア国物語」のようなファンタジー系の作品だったら、ある程度“ありえね~~”と思えてしまうようなことがあっても、それほど不自然には映らない。が、「Hotel for Dogs」のように、他の部分がリアリスティックに作られているような映画で、犬たちが揃って便器にまたがるようなシーンを見せられても、正直、困るのだ。

まあ、同伴した8歳児はそこそこ気に入ったようだから、子供向け映画としてはそれで良いのかもしれないけど、子供だましの作品に付き合わされる大人の身にもなって欲しい。そういう点で、やっぱりピクサーは偉い。

Thursday, January 1, 2009

HAPPY HOLIDAYS!


なんだかバタバタとしているうちに新年、2009年になってしまった。

今年の冬休みは、特に旅行の予定も無いし大きなイベントも無いので、ゆっくり家中の整理でもしようと思っていたら、風邪をひいた。
幸い、招待していただいたパーティのほとんどは終わった後だったので、失礼することも無くて良かったのだけれど、今回は珍しく熱まで出た。

お母さんが風邪になるというのは、本人にとっても家族にとっても厄介なものである。日中はお父さんが居ないから子供の面倒はみなきゃいけないし、御飯も作らなくちゃならない。洗濯だって、着る物が無くなってくるから、最低でも3日に1度は必要。
そんなこんなで、風邪っぴきでも、お母さんは寝てばかりはいられない。だから、治るのも時間がかかったりする。

でも、今回の風邪ではさすがに熱が出た日は、家事をさぼらせてもらって、ほとんどベッドに臥していたのだが、その日の午後、子供にピアノを練習させることにした。子供は、普段は、私がそばで聴いていないとピアノを弾こうとしない。でも、その日は特別。「お母さんは、寝室で聞いていてあげるから練習しなさい」と有無を言わさぬドスのきいた声で(というか、風邪で喉をやられてそんな声しか出なかっただけだけど)指示して、自分はベッドに潜り込む。

指の練習曲やら、ツェルニー30番が聴こえてきた後、子供は先週、始めたばかりのバッハの「インヴェンション一番」を弾き始めた。
私は、バッハが大好きで、自分でも時々弾く。でも、その日、寝床で聴いたバッハは何だか違った。
もちろん、子供にとって初めてのバッハ作品だし、始めたばかりだから、とても緩慢な、そして頼りない音色の演奏だ。が、ベッドに横たわって熱っぽい頭で聴くバッハの「インヴェンション一番」は実に心地良かった。自分の家で、誰か他の人間がバッハを弾いているということが、なんだか特別のように思えた。
それって、多分、別にどうということもない経験なのかもしれない。やっぱり熱で頭がボーッとしていただけか…
とにかく、そうやって2008年は過ぎ、2009年がやって来た。
今年は、2008年よりもずっとずっと良い年でありますように。