Friday, January 23, 2009

デクスター


12月から1月にかけて、アメリカのTVドラマは新しいエピソードをあまり作ってくれない。なので、録りためていた番組もバラエティが少なくなってしまうので、気まぐれに思いついて前々から興味を持っていた「Dexter」(日本TV放映題「デクスター~警察官は殺人鬼」)のDVDを図書館から借りてきた。

「デクスター」の主役は、デクスター・モーガン。マイアミ市警に務める血液のスペシャリストで、殺人現場に行って血の飛び散り方、残り方から、殺人の状況を推測する。(なので、日本公開タイトルの「警察官」とはちょっと違う。CSI=科学捜査班のメンバーに近い位置づけで、強いて言えば「刑事」ということになるだろう。)
デクスターは、警察官の父親が居る家庭に養子に入った生い立ちを持つが、幼い頃から殺害の衝動が強く、猫などの小動物を殺しては快感を得ていた。それを観た父親が、このままでは息子が連続殺人犯になると看破し、息子の殺害の衝動を正義のために利用するよう彼を誘導・教育していく。
そうやって、デクスターは正義の裁きから逃れることのできた唾棄すべき人間たちを密かに処刑していく。

主演のマイケル・C・ホールは、「シックス・フィート・アンダー」で葬儀屋の次男でゲイのデヴィッド・フィッシャーを演じて大ブレイクした俳優だが、「デクスター」でも、ちょっとマット・デイモン風のルックスだが中身はハンニバル・レクター、みたいなキャラを好演。ハマリ役だけれど、この人、将来、フツーの人の役が出来なくなるんじゃないかと、他人事だけど心配になったりして。
私はシリアル・キラーものが元々大好きなのだけれど、そういうのがあまり得意ではない配偶者は、最初、このドラマを観るのに及び腰だった。でも、実際に観てみたら、単なるグロテスクなシリアル・キラーものではなくて、ブラックなユーモアたっぷりの台詞、個性的な登場人物に加え、血液スペシャリストのデクスターが追う“正規”の事件と、殺人衝動を抑えられないサイコなデクスターが追う“裏の”事件とを並行させて描きつつ、デクスターに知の挑戦をしかけてくるアイス・トラック・キラーなるシリアル・キラーの話が絡まる複層構成になっていて全く飽きさせないドラマであることがわかり、夫婦でハマることに…

そんなわけで、現在、シーズン1のディスク2を図書館にリクエスト中であります。

Wednesday, January 21, 2009

大統領就任式と「スラムドッグ$ミリオネア」

昨日は、バラック・オバマ新大統領の就任式があった。
アメリカ合衆国史初の黒人大統領が誕生する歴史的瞬間とあって、ワシントンDCではもちろん、LAでもTVに釘付け状態の人が多かったと思う。子供の学校でも、教室で就任式を見せたようだった。
人種差別はまだまだ存在するけれど、黒人、白人を問わず、オバマが大統領に就任するのを観て感極まって泣く人たちを見ていたら、アメリカというのはやっぱりいろいろな意味でパワフルな国なのだと実感した。
普段は、単純でおバカな人たちが多いこの国を馬鹿にしているところがある私だけれど、この日はアメリカ人たちがちょっと羨ましく思えた。

その後で、ずっと観たいと思っていた「スラムドッグ$ミリオネア」を観に行った。


「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台はインドのムンバイ。日本やアメリカでしか暮らしたことの無い私のような人間には想像を絶するような住環境であるスラムで生まれ育った少年が、いくつもの苦難を経験して大人になっていくが、少年時代に出逢った少女に対する初恋の思いを貫く、と一言で書くとメロドラマみたいに聞こえてしまうような話だが、インディーズ一筋で作品を撮ってきたダニー・ボイルは、センチメンタリズムを適度に抑えて時にはユーモアも織り交ぜて描いている。

映画はいきなり主人公のジャマルが拷問されているところから始まる。インドのマフィアにでも捕らえられたかと思うが、拷問しているのはインドの警察。観客は、ジャマルが何をしでかしたのか、全く判らないまま、拷問シーンを見せられてオロオロするような気持ちになるのだが、やがて、この映画が、ジャマルが現在の状況に至るいきさつを刑事に話す形で進行していっているのに気がつく。バス停留所のベンチでチョコレートの箱を抱えたフォレスト・ガンプが見知らぬ老婦人に自分の身の上話を語っていくのと同じ構成である。

この語りの手法と、インド・ロケを敢行した映像の臨場感、躍動感溢れるカメラワークで、ともすれば暗く感傷的になりがちなストーリーが、スリリングでいっときも退屈させないジャマル青年の波瀾万丈の半生を描くドラマになっていて、社会派的なテーマや要素を持ちながらも一級のエンターテイメントに仕上がっていて感心させられた。

エンターテイメントと言えば、この映画の最後にインドっぽいエンターテイメントのオマケがついているので、ストーリーが完了しても決して席を立たないことをオススメしたい。

「スラムドッグ$ミリオネア」についてこれ以上語ることはネタバレになりかねないので控えるが、オバマの大統領就任式と「スラムドッグ$ミリオネア」という、ノンフィクションとフィクションのドラマを同じ日に観て思ったのは、人間、どんな状況でも希望を捨てちゃいけないんだ、ということでした。

2009年が希望という言葉に相応しい年になってもらいたいものです。

Saturday, January 17, 2009

Hotel for Dogs


映画雑誌に記事を書いているということでアメリカ映画協会(MPAA)に登録すると、大手の映画会社によるほとんどの作品の試写会に招待してもらえる。ほとんどの試写は、平日の夜7時とか7時半開始なので、主婦の私にはちょっと行きにくいのだが、家族向けの映画だと子供が行きたがるので、ちょっと夜更かしになってしまうけれど、行くことが多い。

先日、観に行った「Hotel for Dogs」という映画もそうだった。

「Hotel for Dogs」は、孤児になった16歳のアンディ(エリック・ロバーツの娘でジュリア・ロバーツの姪でもあるエマ・ロバーツ)と11歳のブルースの姉弟が犬を飼うことを許可してくれない里親(リサ・クドロー&ケヴィン・ディロン)に隠れて愛犬フライデーを飼っているが、或る日、フライデーをかくまっておくのに格好な廃業したホテルが近所に見つかる。元からそこに住んでいた犬2匹とフライデーを飼い始めた2人だが、冷酷な動物管理局の職員たちからレスキューした犬もどんどん増えていって…という御話。

映画の根幹は、それまで里親たちとうまくいかずに、住む家庭を転々としているアンディとブルースが決して犬たちを見捨てないというところにある(と思う)のだが、そのメッセージはいたって前向きであるものの、いかんせん、設定に無理があり過ぎる。まず、架空の街(NYにもシカゴにもLAにも見える)のダウンタウンのど真ん中に、かつては高級ホテルだったという建物が、中の家具・調度、食器などに至るまでそのまま、手つかずに残っているということ。犬たちの住処にするにあたり、発明の天才のブルースがいろいろな装置を考案するのだが、その多くが“犬はそんなこと、しないっしょ”と突っ込みたくなるものばかり。ドッグフードにしたって、あんな頭数の犬をまかなっていこうと思ったら毎日、すごい出費になる。ストーリーの展開にも、かなり無理が多いし、クライマックスにいたってはリアリティが失われるほどの楽観的。またまた“世の中、そーゆーもんじゃないってば~~”などと突っ込みたくなる。

子供向けとはいえ、映画の設定、展開にはある程度、リアリティが必要だと思う。もちろん、「チャーリーとチョコレート工場」や「ナルニア国物語」のようなファンタジー系の作品だったら、ある程度“ありえね~~”と思えてしまうようなことがあっても、それほど不自然には映らない。が、「Hotel for Dogs」のように、他の部分がリアリスティックに作られているような映画で、犬たちが揃って便器にまたがるようなシーンを見せられても、正直、困るのだ。

まあ、同伴した8歳児はそこそこ気に入ったようだから、子供向け映画としてはそれで良いのかもしれないけど、子供だましの作品に付き合わされる大人の身にもなって欲しい。そういう点で、やっぱりピクサーは偉い。

Thursday, January 1, 2009

HAPPY HOLIDAYS!


なんだかバタバタとしているうちに新年、2009年になってしまった。

今年の冬休みは、特に旅行の予定も無いし大きなイベントも無いので、ゆっくり家中の整理でもしようと思っていたら、風邪をひいた。
幸い、招待していただいたパーティのほとんどは終わった後だったので、失礼することも無くて良かったのだけれど、今回は珍しく熱まで出た。

お母さんが風邪になるというのは、本人にとっても家族にとっても厄介なものである。日中はお父さんが居ないから子供の面倒はみなきゃいけないし、御飯も作らなくちゃならない。洗濯だって、着る物が無くなってくるから、最低でも3日に1度は必要。
そんなこんなで、風邪っぴきでも、お母さんは寝てばかりはいられない。だから、治るのも時間がかかったりする。

でも、今回の風邪ではさすがに熱が出た日は、家事をさぼらせてもらって、ほとんどベッドに臥していたのだが、その日の午後、子供にピアノを練習させることにした。子供は、普段は、私がそばで聴いていないとピアノを弾こうとしない。でも、その日は特別。「お母さんは、寝室で聞いていてあげるから練習しなさい」と有無を言わさぬドスのきいた声で(というか、風邪で喉をやられてそんな声しか出なかっただけだけど)指示して、自分はベッドに潜り込む。

指の練習曲やら、ツェルニー30番が聴こえてきた後、子供は先週、始めたばかりのバッハの「インヴェンション一番」を弾き始めた。
私は、バッハが大好きで、自分でも時々弾く。でも、その日、寝床で聴いたバッハは何だか違った。
もちろん、子供にとって初めてのバッハ作品だし、始めたばかりだから、とても緩慢な、そして頼りない音色の演奏だ。が、ベッドに横たわって熱っぽい頭で聴くバッハの「インヴェンション一番」は実に心地良かった。自分の家で、誰か他の人間がバッハを弾いているということが、なんだか特別のように思えた。
それって、多分、別にどうということもない経験なのかもしれない。やっぱり熱で頭がボーッとしていただけか…
とにかく、そうやって2008年は過ぎ、2009年がやって来た。
今年は、2008年よりもずっとずっと良い年でありますように。