Thursday, April 21, 2011

WATER FOR ELEPHANTS



サラ・グルーエン著の「サーカス象に水を」の映画化作品「WATER FOR ELEPHANTS」の試写を観に行った。

「WATER FOR ELEPHANTS」の舞台設定は、世界大恐慌に苦しむアメリカ。主人公ジェイコブは、父の後を継いで獣医になるべくコーネル大学の獣医学科の卒業試験を受けようとしていた或る朝、突然の自動車事故で両親が逝去。自分の学費を出すために両親が家も獣医業も抵当に入れていたおかげで、全てを失う。途方に暮れ、とにかく仕事を探すべく大きな街に行こうとしていた途中でサーカスの一団に出くわす。今まで生きてきた自分の人生とは全く違う世界に戸惑いながらも、獣医の卵ということでサーカスに雇われるが、団長の妻マレーナに恋してしまい...

「サーカス象に水を」は、去年の夏、日本に帰省した際に図書館で日本語訳を見つけて原作を読んでいた。(実は、この映画化の話を聞いて読む気になったのだけれど)
原作では、今は老人ホームで暮らすジェイコブがサーカスの日々を回想するという形を取っており、現在と過去とが交互に語られていくが、映画の方は、最初と最後に老人のジェイコブが出てくるだけで、物語はオーソドックスにリニアに描かれる。しかし、違いはそれだけで、あとはほとんど原作通りに物語は展開していく。
良く言えば、原作に忠実に、ということなのだろうが、意地悪く言えば、原作をそのまんま映像化しているだけということになる。
映像は綺麗だったし、1930年代のアメリカの雰囲気、特にサーカスの雰囲気はとても良く出ていた。しかし、原作では丁寧に描かれていたジェイコブとサーカス仲間たちの関係、団長の精神分裂症的な気質、象のロージーに対するジェイコブとマレーナの思い入れなどを、おざなりにサラッと触れるだけで済ませて、代わりにジェイコブとマレーナの禁じられた恋ばかりに焦点を当てているので、物語の展開が非常に平板なものになっていたのが、とても残念。

映画というのは、基本的には叙事的なメディアであって、それをいかに叙情的なものにしていくかということが、課題の1つなのだということを実感。

最後にキャスティングについて一言。
ジェイコブ役にはロバート・パティンソンがキャストされていたが、原作を読んだ時はマット・デイモンの若い頃に近い青年を思い浮かべていたので、ちょっとミスキャスト。
ミスキャストと言えば、マレーナ役のリース・ウィザースプーンも、ちょっと違うなあ...という印象。彼女は、夫の横暴に耐えて耐えてという女は似合わない。強過ぎるし、賢過ぎるんですよね。ナオミ・ワッツが若かったら似合っていた役どころだったような気がする。
自分の抱いていたイメージとは違うけど、役を自分のものにして完全の他の役者をくっていたのは、クリストフ・ヴァルツ。「イングロリアス・バスターズ」の時ほどのインパクトは無かったけど、矛盾した気質を併せ持っているサイコな人間を演じさせたらこの人の右に出る人は居ないと思う。

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