Tuesday, September 17, 2013

「Enough Said」


今年の6月に急逝したジェームズ・ガンドルフィーニの遺作「Enough Said」の試写に行った。

ガンドルフィーニと言えば、何と言っても「ザ・ソプラノズ」のトニー・ソプラノズのイメージが強いけれど、この作品ではジュリア・ルイス=ドレイファス(「となりのサインフェルド」のエレイン)演じるヒロインの恋の御相手をつとめている。
ドレイファス演じるエヴァは、LAに住むバツイチのマッサージ師。同居している1人娘のエレンはもうすぐニューヨークの大学に進学するため親元を離れることになっている。友人のセーラ(トニ・コレット)夫妻に誘われて行ったパーティでも魅かれるような男性は居ないとタメイキをつきながら詩人だというマリアンヌ(キャサリン・キーナー)とオシャベリしたりするが、その後、何となく会話を始めた男性2人組の1人、アルバート(ガンドルフィーニ)とは意気投合。「全然ハンサムじゃないし、太り過ぎだけど楽しい人なのよね」と言ってアルバートとの交際を始めるエヴァだが、会うたびに彼に魅かれていく自分を発見する...

ガンドルフィーニもドレイファスも、この映画の撮影時には51歳だったが、“アラフィフ”というのはビミョーな恋愛年齢だと思う。自分が好きな物、やりたい事がハッキリし始めるけれど、まだまだ魅力的な30代から40代はじめの男女だったらハリウッド製のロマコメに出てきそうな恋愛が可能だし、そういう恋愛に興味を持つだろう。逆に60代〜70代になれば、もう恋愛というよりは残りの人生を一緒に楽しく過ごせるようなパートナー、日本語で言えば茶飲み友達のような存在を求めることが多いように思う。でも、50代というのは、若い時のような無茶はできないし、したくもないと思う一方で、まだまだ異性のルックスやセックスアピールが気になるし、冒険もロマンスも体験したいと思うエネルギーも残っている。「Enough Said」はそういう厄介な御年頃の男女の恋愛を、さりげないユーモアと「ある、ある」と思わずうなずいてしまうようなリアリティで細やかに描いていた。

監督のニコール・ホロセフナーは、映画界でスタートしたての頃は継父がウッディ・アレン作品のプロデュースを多く手がけたプロデューサーのチャールズ・H・ジョフィだったこともあり、アレン作品にエキストラで出演したり、プロダクション・アシスタントを経験したりした後、「ハンナとその姉妹」ではアシスタント・エディターを務めていたとか。「Enough Said」は、アレン作品のユーモアとは異質のユーモアを持つ作品だが、会話のところどころにクスッと笑える台詞が交えてあるあたりはアレンの影響があったりするのかもしれない。

映画のエンディング・クレジットの最後に“For Jim”と書かれてあり、試写会ではそこで拍手が起こっていた。
強面マフィアのトニー・ソプラノとは正反対のキャラ、アルバートのようなフツーのアラフィフ男性を演じるガンドルフィーニをもっと観たかったと思ったのは私だけではなかったようでした。



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