Sunday, August 5, 2012

「ミレニアム」三部作 読了


1ヶ月ほど前、娘の中学校によってリストアップされた夏休みの読書推奨書を借りに訪れた近所の図書館の日本語書の書架で、「ミレニアム」シリーズの完結編「眠れる女と狂卓の騎士」上下を見つけた時には、「Aaaaah~~~♪」という天使たちのコーラスを聞いたような心地がした。
今年の年末年始に日本に帰省した際に、年内開館最終日の図書館に駆けつけて1作目「ドラゴン・タトゥーの女」を貸し出してむさぼるように読んだ後、ロサンゼルス・シティ系列の図書館の蔵書に2作目「火と戯れる女」を見つけ出して夢中で読んでからは、3作目を読めるのは次に帰省する時だと諦めていたから。この図書館には「火と戯れる女」上下もあったので、1作目も誰かが借りているだけできっと揃っているに違いない。早川文庫版の同書は、まだ真新しく、私が貸し出し第1号だったかもしれないのも、何となく嬉しかった。

裕福なヴァンゲル家の複雑な人間関係をベースにした本格ミステリの形式を取った第1作、リスベットの過去が徐々に明らかになっていく過程をスリリングな警察小説のジャンル風にまとめた第2作、そして、前半はスパイ小説、後半は裁判物のような味付けを加えながらも、一気に大団円に到達する第3作。
もう見事としか言いようのない構成力と描写力に舌を巻きながら、もう早く次がどうなるかを知りたくてしょうがなくてもどかしい!という気持ちで読み進めながらも、これが「ミレニアム」最終章であり、リスベットのドラマを追えるのもこれが最後だと思うと寂しくて、読み終わりたくない気持ちもあって、なんとも複雑な心境で最終作を読み終えた次第。

三作三様の世界を構築することに成功している同シリーズだが、興味深かったのは、第1作の「女たちを憎む男たち」という意のスウェーデン語の原題「Män som hatar kvinnor」に呼応するかのように、第3作目の冒頭、物語が始まる前に、作者のスティーグ・ラーソンは歴史上の文献に足跡を遺しつつも滅多に語られることの無い女性戦士たちについて簡単な紹介をしていることだった。そして、それを反映して、第3作では、男性の同僚たちより優れた洞察力と行動力とで、ヒロインのリスベット・サランデルをサポートする頼もしい女性キャラクターたちが登場する。第2作で初登場した刑事ソーニャ・ムーディグ、この作品で初登場する公安警察のモニカ・フィグエローラ、リスベットがかつて務めていたミルトン・セキュリティの社員スサンヌ・リンデル、そして、ミカエル・ブルムクヴィストの妹でリスベットの弁護士になるアニカ・ジャンニーニである。リスベットも相変わらずの不屈の精神と驚くべき頭脳で闘うが、彼女ら“女戦士”たちの助力が無ければ、女たちを憎む男たちとの戦いに敗れていたかもしれないと思わせられる。これは、女性の読者たちにとっては嬉しいボーナス・ポイントだ。

題名の話が出たついでに、ちょっと面白いと思ったのは、原語のスウェーデン語版、英語版、日本語版のタイトルの付け方だった。
第1作目は、上でも言及した通り、スウェーデン版が「女たちを憎む男たち」というタイトルが付けられていたのに対し、英語版と日本語版では「ドラゴン・タトゥーの女」になっている。(英語版は「The Girl with the Dragon Tatoo」) 1作目の焦点は、リスベット・サランデルではなく、むしろミカエル・ブルムクヴィストに当たっていることを考えると、どうやってこのタイトルが付けられたのか…と不思議に思われる。(これについては、また後述することにする。)
第2作目は、スウェーデン、英語、日本語、すべて一緒。「Flickan som lekte med elden」=「The Girl Who Played with Fire」=「火と戯れる女」。これは、2作目の内容を知れば納得のタイトルだ。
一番不思議なのは、第3作目。3つの言語それぞれ、全く違ったタイトルになっているからである。原書のスウェーデン語版は「Luftslottet som sprängdes」=「爆破された天空の城」、英語版は「The Girl Who Kicked the Hornets' Nest」=「スズメバチの巣を蹴った女」。そして日本語は「眠れる女と狂卓の騎士」といった具合に。
この題名の違いについて、Nordic BookblogのPeterは、次のような分析を展開している:

(原著とは違う)2つのタイトルは、「マーケティング・メッセージ」の点で、無視できないフォーカスの転換を意味するものである。英語版では3書とも「The Girl」で始まるタイトルになっている。すなわち、読者にとってはリスベット・サランデルこそが焦点を合わせるべき重要なキャラクターであり、それは、読者がタイトルを見る際、女性版ジェームズ・ボンドのようにもなりえる女性を主人公とするミステリ・シリーズを示唆していると言えなくもない。
しかし、スウェーデン語の原書のタイトルは、1作目は女性たちを憎む男性たちについてのストーリーで、2作目は対処するには複雑すぎる事に巻き込まれてしまった女性のストーリー、そして3作目は高き場所にある構築物が爆破されてしまうストーリーというように、実際は非常に性格の違ったタイトルが付けられているのである。
(後略)

英語版とスウェーデン版の比較に留まっているこの分析に、日本語版のタイトルについての分析を加えるとすれば、日本語版ではリスベット・サランデルのことを救い出そうとする「騎士」たちの活躍に焦点が当てられていると読める。これは、チームワークを重んじる日本人にアピールするタイトルであると解釈するのは深読み過ぎるだろうか…?

私の読書傾向は極端にミステリ小説に偏っている。そして、ミステリ小説の性格上、謎解きを中心に展開するストーリーは1度読んでしまえば、もうそれで済んでしまう作品がほとんどゆえ、私は読んだ本を何度も読み返したりすることはまず無い。
例外はスティーヴン・キングの「シャイニング」で、そのエキサイティングな展開に勢いを得て一気に読んでしまったが、そのストーリーテリングの上手さをまた味わうために読み返したくなり、結局、3~4度は読んだのではないだろうか。
「ミレニアム」三部作も、最終章を読み終わった今、また最初に戻って、「ドラゴン・タトゥーの女」を読み返したい衝動にかられている。
読み捨てることが多い読書習慣の持ち主として、本はほとんど買わずもっぱら図書館を利用している私だけれど、「ミレニアム」だけは三部作全て買い揃えて、何度も読み返そうかな…と考えている。

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